松園・清方・深水

 名都美術館で「麗しき女性の美」と題して、上村松園鏑木清方伊東深水の展覧会が行われている。
 3日前にも書いたが、美術史学者の辻惟雄は、松園の作品を「塵ひとつなく掃き清められた画面に登場する理想の女性は、気品があり過ぎていささか近寄りがたい」と評している。
 まさにそのとおりだ。松園の技量は卓抜しており、昭和に入ってからの作品の清浄さといったら、日本画壇において、他の追随を許さないのではないか。
 清方も良いのだが、松園と並べるとその粗さというか――またそこが清方のいいところでもあるのだが――その差が目についてしまう。
 深水は見直した。天然の朝丘雪路の父ということで軽く見ていたというわけでもないのだが、松園ほどには評価していなかった。しかし、六代目菊五郎をモチーフとした「鏡獅子」を観て驚き桃の木山椒の木。なにしろ凄い。縦2m横1.7mの大画面に、獅子にのり移られた小姓の弥生が獅子頭を手に舞い踊る。鬼気迫る画と言っていい。

 松園、清方、共通の画題として、 井原西鶴の『好色五人女』のお萬がある。物語はこうだ。
 琉球屋の娘のお萬は、好色の男(色男という意味も含む)として有名な源五兵衛に想いを寄せていた。しかし、源五兵衛は、衆道好みであり、女には興味がない様子である。ここは惚れた女のプライドとして衆道に走る源五兵衛をなんとか落とさんと、自らの髪を切り、月代を剃り、若衆の格好をして源五兵衛の庵を訪ねるのだった。
 お萬が、若衆の格好をして想い人を誘う風情を描いたものが、松園の「お萬之図」であり、清方の「西鶴 五人女のおまん」である。どちらも男物の長着に半衿が少し乱れている。腰に差した脇差がぎこちない。美術館で観た際には、松園に軍配を上げたが、物語を知って観れば、腰の置きかたにしどけなさがただよう清方のほうがいい。やはり松園、清浄に過ぎるか。
 さて、好色なる源五兵衛、お萬の手管にかかり、お萬を衆道と思い込んでことにいたる。ここからは原文で。
《息づかひ荒くなりて、袖口より手をさし込み、肌にさはり、下帯のあらざらん事を不思議なる顔つき、又をかし……》と、艶っぽいシーンが続いていくんですが、その先は、『好色五人女』を御覧じあれ。

 さて、ワシャが今回見たかった作品が、「花がたみ」であった。能の「花筐」に材をとった縦2mを超す大作である。この画を描くにあたり、松園は照日の前のかんばせを能面から写し取ったという。おそらく「宝来女(ほうらいおんな)」の面
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0061892
ではないか。継体帝に置き去りにされた照日の前の悲しさを描いて、美しい作品となっている。

 名都美術館の帰路のことである。この辺りは長久手 の合戦で有名なところである。実際に名都美術館の最寄り駅である「杁ヶ池公園駅」の次の駅は「長久手古戦場駅」なのだ。何かこのあたりにも長久手の合戦の跡がないものかと思い、近くにある杁ヶ池公園を散策する。残念ながら、杁ヶ池公園は古戦場ではなかった。でもね、きれいな夕焼けに照らされた見事な紅葉を見られたので、それでオッケーだった。

 下に「市長選2題」という日記があります。