山田寺(やまだでら)仏頭

 天武天皇7年12月4日、飛鳥の里にある山田寺の本尊金銅丈六(こんどうじょうろく)仏像が鋳造されたと、「上宮聖徳法王帝説裏書」にある。金銅丈六仏像、いわゆる「山田寺仏頭」と言われているものだ。
 山田寺は1100年代に消失している。現在は、金堂跡や東回廊建物跡を残すのみである。
 山田寺の本尊だった金銅丈六は数奇な運命をたどっている。山田寺自体は、平安時代の末期に衰退してしまった。その後、南都焼打(1180年)後の興福寺復興に際し、金銅丈六は山田寺から奪取され、興福寺東金堂の本尊となる。
 室町の初頭、興福寺五重塔に落雷があり、金堂は五重塔とともに類焼した。このとき金銅丈六もともに焼失したと思われていた。
 それから永い歳月が流れる。戦国時代、江戸時代、明治、大正を経て、昭和12年のことになる。東金堂修理の際に、現在の本尊の台座の中から、金銅丈六が発見された。雷火の際に、頭部だけは救出されていたのである。
 現在は、興福寺の国宝館に安置されている。全高98cm、ふくよかで明快な目鼻の刻みが印象的なすてきな仏様である。ああ、また逢いたくなってきた。