十雪図屏風

 以下は、ワシャのメモのようなものなので……

 先週、ボストン美術館に行った。そこで観た狩野山雪の「十雪図屏風」が読み解けない。墨で雪の風景を描いた静かな画(え)である。どんな画か、観ていただきたいがネット上で探せなかった。だからワシャの拙い描写でイメージしてくだされ(笑)。
 六曲一双、つまり六扇からなる屏風左隻右隻からなる。高さ158cm、全幅726cmの大きさをもつ。
 画は余白が多い。雪の風景を描いているのだから当然と言えば当然か。描かずにそこに雪の存在を有らしめる、これが画家の力量そのものと言っていい。画面は横に広がっている。映画でいうところのスコープサイズの倍のワイド画面に近い。パノラマの雪景色をイメージしてください。
 全然、解らないですよね。
 パノラマ風景の右の端に建物群が固まっている。手前に18棟の民家が画面の底辺にへばりつくように並んでいる。もちろん屋根から庭からすべてが雪に覆われ、今しも住人の手によって雪下ろし作業が始まっている。民家群の奥に松などの高木が4本立つ。その向こうに高い塀に囲まれた屋敷がある。そのまた奥に立派な堂宇が見える。
 建物群から左に目を移すと、広い雪原になる。雪原の遠くに城壁に守られた街が望める。画面の中央には島地のようになった小山と、右端の建物群と比べると位置的には画面の手前にありながら小さく描かれた建物、人物、路などが配されている。遠近法などどうでもいいらしい。
 視点は左の屏風に移っている。7割方はなにも描かれていない。白い雪か、極々薄い墨で刷いたような空ばかりである。手前に松の生えた岩山があり、そこから左の端にむかって橋が掛かっている。その先に民家が一軒あり、その背後は切り立った崖になっている。崖のむこうにはお屋敷があり、その背後は山々がそびえ立つ。
 やっぱり百聞は一見にしかず、ですよね。なにがなんだかわからないと思いますが、まぁそんな画だったと思ってくだされ。

さて図録の解説には、《元時代の詩文集『皇元風雅』の「十雪題詠」を典拠とする。「韓王堂雪」「伊川門雪」「袁安洛雪」「李愬淮雪」「王猷渓雪」「李及郊雪」「蘇武羝雪」「鄭綮蘆雪」「孫康書雪」「歐陽詩雪」の各詩題にもとづく十場面からなり、本図ではこの順に画面右から左へと展開される。》とある。

 画を見ても、解説を読んでも「韓王堂雪」って何?という話で、「韓王の堂に雪が降る」ってことかな、そういえば右端の絵に堂(建物)が配置されてある。それのこと?
伊川門雪」は、伊という川の門(河口)に雪という意味か……。
『皇元風雅』を知らず、「十雪題詠」を見たこともないワシャには解釈は不可能だった。
 それではいかにも悔しい。だから、自宅にもどって調べ始めたのだが、これがなかなか難しかった。
国史大辞典』『日本国語大辞典』『世界大百科事典』にはない。やはり頼りになるのはネットか。『皇元風雅』を調べると、京都大学附属図書館所蔵の一般貴重書でヒットした。 
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/i105/image/01/i105s0001.html
 中をのぞいて見たが、なにが何だか解らない。いろいろ検索したがなかなかそれらしいものにヒットせず、幾つかめの「韓王堂雪」でここに当たった。
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/cgi-bin/edegazo.pl?title=78
 下の方にスクロールしてもらうと、「七 本文2見開き」のところに「韓王堂雪」がある。そしてその下に十の詩題が並んでいた。
 絵と文章があって、それを照らし合わせてみるとなんとか画題が見えてきた。

「韓王堂雪」(かんおうどうのゆき)。文中に酒宴ということばがある。右隻の上方の堂に多くの人が見える、それのことだな。
伊川門雪」(いせんもんのゆき)。伊川は人名だ。伊川という先生を訪ねて2人の士がやって来るという話で、右隻二扇の屋敷の門に二人の男が描かれてある。
「袁安洛雪」(えんあんらくのゆき)。右隻一扇下方の屋敷で、袁安が寝そべっている。
「李愬淮雪」(りそわいのゆき)。この詩では武人、城壁、鳥の群れなどがキーワードとなっている。右隻三扇に壁で守られた城と、それを攻める軍勢、飛び立つ鳥の群れが描かれている。淮は淮水(河川の名)のこと。
「王猷渓雪」(おうゆうけいのゆき)。右隻五扇、晋の王猷が舟から渓の雪と月を楽しんでいる。
「李及郊雪」(りきゅうこうせつ)の詩中に「他事白集皈舟月(たじはくしゅうきしゅうのつき)」とあり、右隻六扇の月に重なると思ったのだが、月は「王猷渓雪」のほうだとすると、この物語の絵がない。詩中の「皈」は「帰」の意。
「蘇武羝雪」(そぶていせつ)、『直指寶』の絵は、海岸の洞穴に老人が住まっているもので、左隻三扇手前の岩山の洞穴に寝そべる老人である。
「鄭綮驢雪」(ていけいろせつ)。鄭綮は詩人の名。その鄭綮を訪なうために左隻の手前の橋を驢馬でゆく人が画題となっている。左隻六扇に落差のある滝を描く。
「孫康書雪」(そんこうしょせつ)。晋の人、孫康は雪の灯りで書を読んだ。左隻六扇の下の家屋では、窓辺で読書する孫康が見える。
「歐陽詩雪」(おうようしせつ)。左隻五扇六扇の真ん中にある屋敷の左手に玄関があって、そこに歐陽と女人が立っている。歐陽とは北宋の政治家であり詩人だった歐陽修のことである。字を永叔という。「七 本文21見開き」の左ページの1行目に「歐陽永叔」とあるので、間違いない。

 ううむ……水墨画とあなどってはいけない。奥が深い。漢詩に関する深い知識がないのでなにも解からなかった。また勉強しなければいけないことが見つかってしまった。このままでいくとワシャは300年くらい生き永らえないと、まともな人物にはなれそうもない。そんな気がするのだった。やれやれ。