文楽

 ずいぶん昔の話である。仕事の関係で神奈川県南足柄市に出張した。なにかの総会だったと記憶しているが、その総会のアトラクションで生まれて初めて「文楽」なるものを観る機会を得た。
 出し物は「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」である。
 このセリフ、聞いたことありませんか?
「父様(ととさま)の名は阿波の十郎兵衛、母様(かかさま)はお弓と申します」
 昭和の時代には、漫才師などがよくパロディでこのシーンをやっていたものである。当時、ワシャは文楽を知らなかったけれど、このセリフは耳に残っていた。だから取っ付きが易かった。
 舞台やや下手に「いつもの門口」。家内に銀十郎(実は十郎兵衛)の妻のお弓。下手より十歳ばかりの巡礼(お鶴)が御詠歌を歌いながら現われ……お弓にご報謝を乞う。ここでお鶴は身の上を語るのだが、これが涙なくしては聴かれない。
 いやーぁこれがはまりましたぞ。それからあちこちに足を運んで文楽を集中的に観たものである。大阪の文楽劇場にもお世話になった。
 その関連のニュース。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120928/lcl12092822220002-n1.htm
 橋下大阪市長が、文楽協会への補助金3900万円の支給を止めている問題で、ようやく話し合いの場が持たれるという。
 ええこっちゃ。きっちりと話しおうて、文楽協会に補助を出してやんなはれ。そもそも文楽の「ぶ」の字も知らぬ人間が、軽々に補助金打ち切りの表明などするものではない。日本、ことに大阪の伝統文化を守るため、大阪市がその一助をするというのは決して悪いことではない。

 近々、隣町で文楽公演がある。出し物は、義太夫狂言の三大名作と言われる「義経千本桜」から「すし屋」。これは楽しみだ。歌舞伎のほうでは、市川猿之助(先代)、中村勘三郎片岡仁左衛門で観ているが、人形で観るのは初体験。主人公のいがみの権太を名手三世桐竹勘十郎がつとめる。
 ぜひ、橋下市長にも、文楽に足を運んでいただき、人形たちが織りなすドラマに涙してもらいたい。ただの木偶(でく)に魂がこもり、表情豊かに動き出すさまを目の当りにすれば、補助金復活間違いなし。