中村歌右衛門

 ここに1970年に発行された切手がある。
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 この12枚が「古典芸能シリーズ」なのだが、注目していただきたいのは左の一番上だ。歌舞伎3種の内、「娘道成寺」15円である。この白拍子花子が六代目中村歌右衛門
 この「娘道成寺」は元禄時代に成立して以来、多くの類型を生み、それを何人もの役者が演じてきた。ワシャが映像や舞台で知っているのは、昭和になってからの役者だけではあるが、その中でも歌右衛門丈は最高峰と言っていい。
 残念ながらワシャは、生の歌右衛門で「娘道成寺」は観たことがない。歌右衛門は、昭和53年に中日劇場で「娘道成寺」を踊って以降、二度と演らなかった。ワシャが歌舞伎に興味を持つのは、その後のことなので、間に合わなかったのじゃ。
 それでもね、映像では歌右衛門の「娘道成寺」を堪能している。多分、50代後半だったと思う。京都南座の映像ではなかったろうか。これが凄かった。
 本舞台では、芝翫富十郎藤十郎菊五郎玉三郎勘三郎福助など当世の「娘道成寺」は観尽くしてきた。平成11年の大阪松竹座玉三郎も良かったけれど、それでも歌右衛門の域までは達していない、そんな印象を持った記憶が残っている。
 もちろん歌右衛門亡き後、女形の最高峰は玉三郎だと思っている。最近の円熟味の増した玉三郎が「娘道成寺」を演っていないので解らないけれども、それでも歌右衛門のほうが上なのかもしれない。

 ワシャの駄評などどうでもいい。手元に文豪三島由紀夫の『芝居の媚薬』(ランティエ叢書)があって、その中に歌右衛門評が載っている。それを引く。
《外光に馴れた目を一旦場内の薄闇に涵(ひた)し、むこうにひろがる光りかがやく舞台の上に、たとえばそれが「娘道成寺」の一幕ででもあって、ただひとり踊りぬく歌右衛門の姿を突然見たとする。このとき私の感じるのは、時代からとりのこされた一人の古典的な俳優の姿ではなくて、むしろ今しがたまで耳目を占めてきた雑然たる現代の午(ひる)さがりの光景を、ここに昼の只中にあって、その夜の中心部で、一人の美しい俳優が、一種の呪術のごときものを施しつつ、引き絞って一点に収斂させている姿である。》
 三島は、歌右衛門と同じ時代に生きたことを幸福に思っている。うらやましい。残念ながら、我々の世代は歌右衛門に少し遅れてしまった。ワシャは辛うじて何番か丈の舞台を拝見する機会に恵まれたが、できればもっともっと観たかったなぁ。
 でもね、この時代にはこの時代を代表する俳優が生まれている。玉三郎しかり勘三郎しかり、若手では四代目猿之助海老蔵あたりがどう化けてくれるかが楽しみだ。歌右衛門に思いを馳せつつ、現在の俳優たちに注目をしていきたい。