河本準一の問題

 聖書の「テサロニケの信徒への手紙」から引く。
《兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。》
 テサロニケとは、ギリシア北部の町のテッサロニーキのことである。この町の信徒に向けて0050年前後に使徒パウロから発信された手紙の一部が上記である。
 この中でパウロは言う。
「怠惰な生活をしているものを避けよ」
「パンをただでもらうな」
「誰にも負担をかけるな」
 そして「働きたくない者は、食べてはならない」と命じる。
 ううむ、サヨク平等主義にまみれた現在の日本人には耳が痛い。ただ、注意しなければならないことは「働けない者は……」ではないことだ。あくまで「働けるのに働きたくない者」、怠け者に「食うな!」と叱っているのである。
 生活保護は、パンをただでもらう仕組みである。もちろん、一部の生活保護受給者は、ただのパンを恥じながら遠慮しながら受け、ひそひそと暮らしている。「恥」を知っているこの人たちはすべからく「働けない者」であり、品格もあると信じる。
 しかし、大手を振って生活保護の窓口にあらわれ、主人が家来を使役するように、横柄な言葉を吐く受給者も多々存在する。「お前は、何様なんだ?」と問いたくなるようなものもらいは多い。そういう輩に限って、体は丈夫そうだし、ときには酒臭かったりする。そして金をふんだくった後に、パチンコ屋に意気揚々と消えていく。
 働くものこそが食うべきであって、働きたくないものはその余りもので空腹を満たせばいい。それが逆転しているところに、この国の欺瞞がある。

 さて、表題の河本準一の問題である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120525-00000108-mai-pol
 まず、驚いたのが、河本のレベルの芸人が年収5000万円もとっていることである。5年も働けば、普通のサラリーマンの生涯賃金を稼ぎ出してしまうわけだ。ある意味で芸能界というところは凄いなぁ。
 河本が、「この世界は保証がないから……」と言っているが、それは言い訳にすぎない。河本が、本当の貧乏を知っているというならば、当然のことながら金の大切さも熟知しているはずだ。2005年には「TVスター名鑑」に載った。その時点からだって8年も稼いでいる。すでに河本はトータルで何億という金を手にしているわけで、岡山の母親をヒソヒソと食わせることぐらい充分にできた。にも関わらず、ずっと母親に生活保護を受給させている行為は、阿呆の作った法的には問題ないにしろ、道義的な責めは負うべきだろう。
 河本は謝罪の記者会見でこう言った。
「ウチのオカンがお世話になった分のお金をきちんとお返ししたいと思っています」
 違うでしょ。
「オカンがお世話になりました。オカンがお世話になった分の何倍ものお金をお返しします」
くらい言ってみろよ。それが気概でしょ。謝罪会見であの程度のことしか言えない河本に失望した。

 ザル法、ザルシステムを維持している厚労省の親分が、自民党に阿り、生活保護給付水準の10%引き下げを口にした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120525-00000108-mai-pol
 う〜ん、違うんだよな。そういう小手先のことではないんだ。10%引き下げは、役人にとっては楽だろう。しかし、もしかしたら本当に保護の必要な人にも影響を与えかねない。大切なことは、行政が細かいところまで立ち入って、不正受給を根絶することにある。夫婦が偽装離婚して、父親は生活保護を受け、母親は母子家庭で手厚い保護を受ける。それで、パチンコ、カラオケ、外食と遊び暮らしている連中がどれほどいることか。
こうなってくると、左巻きは嫌がるが「国民総背番号制」を導入し、すべてを一元管理することが必要となってくる。多少、息苦しくはなるかもしれないが、正直でまっとうに生きる人々が納得して生きることのできる世にしなければならない。

「働きたくない者は、食べてはならない」

 2000年前の伝道者の声に、真摯に耳を傾けたい。