半田市

 昨日は終日、半田市界隈を走り回る。
 何をしていたかって?
 取材でんがな。

 半田市出身の童話作家新美南吉をご存知ですか。小学校の教科書に「ごんぎつね」あるいは「手袋を買いに」などが載っている。皆さんの中にも読まれた方が多いのではないか。
 皇后陛下は子供時代の読書の思い出として『橋をかける』(文藝春秋)を上梓されておられる。その中で、南吉の「でんでん虫のかなしみ」に触れられた。
「この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に甦って来ました」
 と、書いておられる。

 その南吉の生誕百年が平成25年にめぐってくる。我社でもそれにちなんでイベントを打っていこうということになり、プロジェクトチームが編成された。そのメンバーと現地を訪なったのである。

 南吉の生まれた半田市について。
 半田市は、愛知県に二本ある半島の西側の知多半島の中程、三河湾側にある小都市である。衣浦という天然の良港を持つ半田では、1300年代から業としての海運が始まった。
 江戸期になり酒造業が興る。いわゆる知多酒である。この酒を江戸に廻船するするために、半田の港には船があふれかえった。
 明治に入って、半田・亀崎(現半田市亀崎町)の酒造業者が中心となって独自の海運会社を設立する。これは愛知県下でもっとも大きい海運会社となった。近代、半田は経済、産業の知多半島の要地だったと言える。

 このころは、知多半島随一の繁華な町を誇っていたものだが、現在は、ご多分にもれず、JR半田駅周辺も、名鉄知多半田駅前も、衰退の一途をたどっている。
 ただ、歴史のある町なので、いたるところに見どころがある。例えば半田運河沿いの蔵の町は、高倉健藤純子の任侠物のロケに使われたところだし、潜んでいる。また、半田運河の西側には、「酒の文化館」「小栗家住宅」「お酢の博物館」などの観光施設がある。

 そして、なによりも新美南吉である。南吉にまつわる場所、モノ、人に事欠かないのが半田である。生家もあれば養家もある。遊んだ場所もあれば、好意を寄せた女性の通った学校もある。それこそ、童話の中に出てくる「六地蔵」や「矢勝川」まで現存する。
 惜しむらくは、この数多ある素材が活かしきれていないのが実情だろう。

 半田市だけではない。今、全国津々浦々に半田市と同様の風景が広がっている。観光資源はある。人もいる。しかし、駅前にはシャッター街が続く。
 こんなもの国策が悪いに決まっているが、残念ながら、国はこの病根を治療する気はさらさらない。地元の人間ががんばればそれでよし、さもなくば立ち枯れても、それはそれで仕方ないと思っている。
 でも、何か起死回生の方法があるような気がするのだが……半田の町を歩きながらそんなことを思っていた。