花見

 昨日、所用で岡崎方面に出かける。
 風が強くかなり寒く感じる日だった。岡崎市内の幹線道路沿いに電光の温度計があって、それが9度を示している。ううう、体感温度はもっと寒いのだろう。車で来てよかった。自転車なら矢作川にたどり着く前に凍えていたわい。
 でもね、いたるところ桜が満開で、車の中からではあるが、花を楽しんだ。
 昼になっても外は寒い。それでも、タフな人たちはいるもので、岡崎市内の公園では、北風にあおられながらも茣蓙を敷き、花に向かう人たちがいる。表情は凍っていましたね。今日(昨日)の天候では、「行楽」というより「修行」と言い換えたほうが似合いそうだった。

 もうずいぶん昔になるが、大阪南河内河南町に行ったことがある。町役場から東南方向の山間に、弘川寺(ひろかわでら)という古刹を訪なったのである。そこは桜の名所で、本堂の前の隅屋桜(すやざくら)がきれいだったことだけは鮮明に覚えている。
 唐突に南河内の寺を引っ張ってきたのには理由がある。この弘川寺が、桜の法師、西行の終焉の地でもあるからである。
「仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば」
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
 西行は、建久元年(1190)2月16日に亡くなっている。「如月の望月のころ」と詠み、自らの死期を的中させた。見事なり西行
 2月に桜とは、少し早いようだが、もちろん旧暦なので、現在に換算すれば、3月末から4月の初めごろということになる。今年は桜が遅れているので、ちょうどこんな頃合いだったのだろう。

 良寛も桜を吟じている。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
 あるいはこう詠む。
「かたみとて何かのこさむ春は花 夏ほととぎす秋はもみぢば」
 先の句は、軍歌の「同期の桜」へと変容して、「咲いた花なら、散るのは覚悟」となっていく。
 どちらにしても、どこか「死」が匂っている。

 近代の小説家、梶井基次郎にいたっては、そのものずばりで「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!」で書き出される掌編があるくらいだ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

 そう思い当れば、北風に凍えながら酒宴を張る村人たちが、桜に厳かな祈りを捧げているようにも見える。

 暖かい車の中で、そんなことを思っていた。