ご存知、河内山

 この週末に、再度、御園座へ行く。昼の部を鑑賞するためにである。演目は「義経千本桜」、「女伊達」、「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の3本。「義経千本桜」についてはすでにこの日記で説明した。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120202/1328134539
「女伊達」については、筋はあってないようなもの。時蔵扮する女伊達のお時が男どもを散々に打擲するというもので、味噌なのは、お時が「花川戸の助六」に惚れているといったシチュエーションだろう。歌舞伎はあちこちでつながっている。
 さて、本題の「雪暮夜入谷畦道」である。「直侍」とも呼ばれるこの狂言は「天衣紛上野初花(てんにまごううえののはつはな)」全七幕の長編ドラマである。主人公はお数寄屋坊主の河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)。本狂言に登場する直侍とあだ名される片岡直次郎は河内山のワル仲間、遊び仲間である。
 ドラマの全体像をつかむために、本狂言には登場しないが、河内山宗俊について少し触れたい。
物語では、お数寄屋坊主となっている。所属は、若年寄支配下で、主な仕事は、茶事や茶器の管理を行う軽輩御家人である。
 背景は、徳川家斉の時代、いわゆる化政文化華やかなりし頃、江戸時代後半の退廃したバブリーな時代と思っていただければいい。
 そんな時代に河内山が生きている。元々ワルだから、江戸城勤めなど長続きするものではない。すぐに小普請(役なし御家人の吹き溜まり)に組み込まれてしまう。
 小普請は暇だから、ついつい街場のチンピラどもとの交流が増えて、元々嫌いな性分ではないので、博打やゆすりたかりをするようになる。
 そんな中に、片岡直次郎がいたわけだ。
 ここから直侍の話に移る。この男も、元をただせば御家人だった。だから侍の直次郎で「直侍」と呼ばれている。江戸も化政期になると、旗本御家人といっても仕事などありはしない。わずかな食い扶持をもらってひたすらブラブラしているだけの人生だ。才能のあるヤツはいい。絵を描いたり、文を書いたり、朝顔を作ったりして生き甲斐を見つけ出す。しかし放蕩癖が身にしみている直侍は、結局のところ身を持ち崩して、無頼の生活を送るしかない。そんな境遇の中で、河内山とは、女を通じて知り合って、意気投合して仲間になる。
 また、遊び呆けているうちに、馴染の娼妓の三千歳(みちとせ)と恋仲になる。その内に、河内山も直侍も重ねてきた悪事が露見し追捕が掛かって、そのギリギリの状態で、直侍、三千歳二人の最後の別れの場面が今回の演題となっている。
 実は、河内山も、直次郎も、三千歳も、みな実在上の人物である。河内山、直次郎は、罪を犯したことで名が知れた。三千歳は、刑死した直次郎を引き取って回向院に弔っていることから、その名前が後世に伝わった。本名を「なを」という可憐な女性であったらしい。
 週末が、楽しみだなぁ。