しつこいけれど談志の話題を

 立川談志のDVDを持っている。その中に「四季折々」という咄があるんだが、この咄のレベルが高い。だから、客も感心はすれども笑うところがわからないといった風情だ。
 談志、まず、お得意の童謡の話題から入っていく。「卯の花の匂う垣根に〜」くらいはワシャでもわかる。しかし、続いて繰り出される「窓の小笹にさやさやと、更行く夜半(よわ)をおとずれて……」になると、今、『広辞苑』『日本国語大辞典』をひっくり返してもわからない。仕方がないので、書庫から『思い出の童謡・唱歌200』(成美堂出版)を引っ張り出してきた。それでようやくわかりましたぞ。
「四季の雨」という尋常小学唱歌だった。いい歌詞なので書き写しますね。

 降るとも見えじ 春の雨
 水に輪をかく波なくば
 けぶるとばかり思わせて
 降るとも見えじ 春の雨

 俄(にわ)かに過ぐる夏の雨
 物ほし竿に 白露を
 なごりとしばし走らせて
 俄かに過ぐる夏の雨

 おりおりそそぐ秋の雨
 木の葉・木の実を野に 山に
 色さまざまにそめなして
 おりおりそそぐ秋の雨

 聞くだに寒き冬の雨
 窓の小笹(おざさ)にさやさやと
 更行く夜半(よわ)をおとずれて
 聞くだに寒き冬の雨

 談志は、これらの詞がいいと絶賛する。この歌は大正3年から尋常小学校の教科書に載った。談志少年も一所懸命に声を張り上げていたんでしょうね。
 それが、戦後、歌詞が難しすぎると日教組あたりが言い出したんでしょうな。あっさりと音楽の教科書から削除されてしまう。音楽教育とともに、優れた国語教育の芽がつぶされた。
「降るとも見えじ 春の雨」「俄かに過ぐる夏の雨」「おりおりそそぐ秋の雨」「聞くだに寒き冬の雨」
 風景が目に浮かぶようではありませんか。

 本筋から外れすぎた。
 談志の落語の話だった。談志はこの後、百人一首の話題に移り、何首もの和歌を諳んじてみせる。すごいなこの人は。
 それからこんな咄をした。
「商家のお嬢さんがね、正月に羽子板を突いていたんですね。そこに小僧がやってきて、『オイラにも突かせておくれよ』とせがむんだけれど、お嬢さんは突かせてやらない。小僧は、羽子板を無理やり奪うとコーンと突く。力が強いものだから、屋根まで上がってしまって、コロコロと転がって樋のところで止まっちまった。お嬢ちゃんが泣いていると、お婆さんがやってきて、『おやおやそんなに泣いているとおけえけえが取れちゃうよ』仕方がないから、お婆さんが梯子を持ってきて、屋根の上から羽を下ろしてくれたんだとさ」

 余談ながら、このお婆さんの言った「おけえけえ」だが、『日本国語大辞典』に依れば「化粧」をいう幼児語なのだそうな。ううむ、談志の落語は勉強になる。

 この話を終えて、談志はガラリと表情を変える。
「この話がね、こうなるのさ。商家のお嬢さんのところに小僧がやってきて『突かせておくれよ。突かせておくれよ』としつこく言う。しかたがないので、突かせてやると、止まっちまった。お婆さんがやってきて下ろしてくれた」
 客はドッカーンと笑う。
 高尚な日本語の勉強の中に、少々卑猥な咄も織り交ぜながら、談志の独り舞台は続く。
 基本的に談志の落語はこっちがわにリテラシーがないと面白くないかもしれない。まぁそれでも談志そのものを楽しもうっていうなら大丈夫だと思うけれど。
 ううむ、当分、談志から離れられそうもない。