世襲の是非

 笑福亭釣瓶の長男がNHK朝ドラのヒロインの夫役に抜擢されたんだとさ。
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110907spn00m200003000c.html
 石田純一の長女も「大女優になる」と宣言し、芸能界で生きていくそうだ。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/06/kiji/K20110906001563260.html
 明石家さんまの娘も、半ちくな芸能活動をしているし、シブガキ隊のフックンの息子も、親子共々「メレンゲの気持ち」に出演していたっけ。
 芸能人も、歌舞伎や能のように、世襲制になっていくらしい。何年か後には二代目笑福亭釣瓶襲名披露とか、二代目布川敏和襲名披露とかね。
 よほど芸能界の水は甘いのだろう。さしたる演技力も実力もないが、有名人の子弟という価値で人気を博せば、リッチな生活が送れるという摩訶不思議なシステムができあがってしまった。

 野田新首相が2009年に『民主の敵』(新潮新書)を上梓している。その中にこんなフレーズがあったのを思い出した。
自民党で昔秘書をやっていた方の話を聞くと、「三角大福中」までは、みんな個性は違うけれども、会合などで同席するようなときに、オーラがあって緊張したと言います。》
 三角大福中というのは、三木武夫田中角栄大平正芳福田赳夫中曽根康弘のことである。そしてその後の総理大臣には彼らがもっていたオーラのようなものが無くなってしまったと言う。
《オーラうんぬんはいささか抽象的な話ですが、ここで注目すべきは、ここまでは世襲ではなく「創業者」が多いということです。》
 野田さんの言うとおり、宰相としての是非はともかく、少なくとも前述の5人には覇気があった。そして野田さんがこの5人の対極にある総理として、福田康夫麻生太郎をあげているが、創業者の親、祖父が敷いたレールの上に安穏と生きてきた結果、ぼんやりとした昼行燈のような短命宰相になってしまった。

 世襲は必ずしも悪ではない。しかし、後継者が創業者の力量を超すことは稀である。政治家や芸能界の席数に限界があるとするなら、能力の低い人材が指定席を占めることにより、有能な人材が登場してくるのを妨げてしまう。結果としてその世界の停滞を招くことになる。
 芸能界は実力の世界だと思っていたが、親のコネがまかり通る古い体質をもつ政界と同じだったんだね。