官僚の亜種

 研修にはいろいろな講師が登場した。玉石混交と言いますか、まぁなかにはとぼけた講師も混じり込んでいて、それがけっこう笑える。
 仮にFさんとでもしておこうか。経歴は、東京大学法学部ご卒業、めでたく○○省に入って高級官僚のスタートを切られた。その後、□□県の総務系の課長に出向し、また霞が関に戻って課長補佐、また△△県の企画系の部長にご就任、またまた霞が関に舞い戻り課長に昇任する。その後、◇◇大学の教授に転身し現在に至る、というもの。ま、キャリアの経歴としては、よく見かけるたぐいの経歴である。

 でね、この人の講義がよくない。330ページをこえる自著(テキスト)、12ページのレジュメ、80ページの資料①、20ページの資料②を2時間でやり尽くすという。ワシャは無理だと思うがねぇ。
 F講師もそのことには自覚的だった。だから、シャベリの早いこと早いこと。とにかく速射砲のように話しっぱなしだ。「間」というものがないから、聴き取りにくいことこの上ない。講義の組み立てとしては、レジュメに沿って、テキストのページ数を言う。しかし、行数までは言わない。「どのフレーズだろう?」と生徒が探している間に、要点を「ペラペラペラッ」と話して、「はい、次に98ページ」となる。延々とこの繰り返しが続く。

 F講師の風貌である。小太りで短躯だ。まるい顔にやや吊り上った細い目に銀縁メガネ、ヘアスタイルは坊ちゃん刈りを七三に分けている。ファッションには興味がないらしく、長いベルトで太い腹をギュッと締めている。

 あなたの小中学校のクラスにいませんでした?勉強はやたらできるんだけれど、運動音痴でやたらどんくさい。口はペラペラとよく回り、勉強ができない周囲を見下して、自分に不利なことが起きると直ちに先生にちくるやつ。
ドラえもん」のスネ夫を太らせて、もっともっと秀才にして、なおかつ勉強でトップを取り続けることに生き甲斐を見出すと、F講師になる。

 講義の内容も、自分の思い込みだけで構成し自分のペースで進めていくので、受講生がついていけない。だから、笑いを取れる場所で受講生は沈黙したままである。一瞬、「おや?」という顔をしたが、また、もとの早口の講義に戻っていく。F講師の中では、「受けなかったのは自分の構成や話し方のせいではない。受講生の頭が悪いから理解できないのだ」とでも整理したんだろう。
 いえいえ、みんな、そのポイントを知っていましたよ。ワシャの周りでは「フン」とか「チッ」とか、みんな反応していましたから。でもね、話の持って生き方が下手なので笑えないんですよ。
 お勉強をするのも大切ですが、どうぞ、志ん生とか圓生の名人落語を聴いてごらんなさい。それこそF講師の講義が大きく変わるはずである。

 途中に読書の話がでてきた。「私は今までどうやって読書をしてきたか」ということを語り始めた。「速読、斜め読みをしてたくさん読んでください(そうすれば私のような賢明な人物になれるかも知れませんよ)」後半のカッコ内はもちろんFさんは口に出していない。でもね、しっかりと顔に書いてあるんですぞ。いやー、この手の単純な人間は解かりやすくていい。
 そしてついにF講師、その深く広い知識の海を開陳し始める。
「ナポレオンは戦史の勉強をした。だから直感的な判断が可能だった」
「パットンって知っていますか?」
 ここでF講師、受講生の反応がないのでニンマリと笑う。「お前らバカだから知らないだろう」と言いたいのが手に取るように見える。
 知っているって、パットンぐらい。
「パットンも過去の戦史を勉強していました。その上での直感です。あなたたちが何の積み上げもなく思い付いても駄目なのです」
 あの〜F先生、そもそもナポレオン、パットンに限らず、歴史上の有能な将軍や参謀たちは、みんな過去の戦争の歴史を細かく分析し、それに基づいて戦略を立てていたんですが……。

 その後も「ユング」、「河合隼雄」、「フレーベル」などの名前が出てきた。もちろん過去の賢人たちから言葉を引くのは一向に構わない。でも、それを読んできたことを鼻に掛けてはいけない。
 残念ながら、ワシャはF講師よりも本を読んでいる人をたくさん知っている。その人たちは偏った分野だけではなく、網羅的に本を読んでいるので、話すことに奥行き厚みを持っている。そんなことは10分も話を聴いていれば解かってしまうのである。真の意味での読書家の話はおもしろい。司馬遼太郎にしても座談の名人だった。F講師、もう少し本を読んだ方がいい。これは愛知県の愚者からの忠告である(笑)。

 極め付きは、こんな突然の発言だった。
「立川と三島、どっちが東京からだと近いと思います?東京からだと三島の方が近いんですよ」
 え?東京―三島間は、こだまで早くて51分である。東京―立川間は、中央特快で40分なんだけど、何を急に思い付いてしまったのだろう。このことが何を示しているのだろう。その日のF講師の話の中で、唯一、難解な発言だった。この前後につながる話がないまま、F講師は次のページに行ってしまった。脳がいってしまったのだろうか。
 こんな素晴らしい人が、日本のトップエリートを構成していたのである。はっきり背筋の凍る思いがした。

 古賀茂明さんの『官僚の責任』(PHP新書)の中のフレーズを思い出した。
《彼らのほとんどは、小学校、中学校、高校とずっと「一番」で通してきた。そして「日本の大学でもっとも難関だから」という理由で東大に進学した。》
 そしてもっとも難関の就職先である官僚を目指すわけである。その動機についてこう言われる。
《「国のためにがんばる」とか「国民のためにがんばる」といったモチベーションではなく、「そこがてっぺんだからめざす」のである。「おれはすごいんだ」と自己満足を得たいがため》

 F講師の長い長い講義が終わった。受講生はみんな立ち上がって拍手をする。
「えらいえらい」