経済発展は絶対か その2

(上から続く)
 これと似たような話なのかはよく解らないが、佐藤さんの発言を読んでいて、ワシャの脳幹の知恵の輪がはずれた。

 石原東京都知事の「パチンコと自動販売機やめちまえ」発言に対する、蓮舫節電啓発担当大臣の言いぶりを思い出した。
「そこで働いている人もいる」
 というものである。
 これも、「必要だから必要理論」というまがい物の理論である。
 百歩譲っても、百兆歩譲っても、パチンコは博打でしかなく、人間社会が健全に営まれていくために邪魔でこそあれ必要不可欠なものではない。それも全国津々浦々に1万2500軒も要るまい。
自動販売機でもそうだ。店舗があればジュースを買うのに支障があるわけではない。人と顔を合わさずにジュースを買いたいという利便性を追求した結果が256万台もの自販機を林立させることになっただけだわさ。
こんなもの、石原都知事の言うとおり不要なのだが、すでにパチンコについても自販機についても利権が発生し、それで経済活動が行われているのである。
 だから、「すでに働いている人がいるから必要。必要だから必要」という理屈でパチンコや自販機を排除できなくなるわけだ。しかし、戦前にパチンコ屋が日本にあったか?昭和20年代に自動販売機があったか?たかだかその程度の歴史しかないものを、「すでに経済活動の中に組み込まれているから必要」という認識でいいのか。
 菅直人の先輩の市川房江は昭和33年に、2000年の歴史を誇る伝統産業――パチンコを合法というならばこの伝統産業だって当時は合法だった――を全国から駆逐してしまったではないか。この伝統産業にだって関係者はそれこそ山のようにいたにも関わらず壊滅させてしまった。
 その理屈から言えば、賭博場のパチンコの廃止、自動販売機の撤去も可能だと思うし、長期的に日本をよい方向に進めていこうとするなら、目先の利権、利益を求めていてはならない。
緒方洪庵はこう言う。
「利益を追おうとするな」
「人を救うことだけを考えよ」
そういうことなのである。
ウソばっかりの原発絶対主義の背後にある経済絶対主義も、案外、胡散臭いシロモノかもしれない。