世のためにつくした人の一生は美しい その1

 東京電力の清水社長が、原発立地町の3避難所を謝罪行脚した。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110423ddm041040014000c.html
 う〜む、なぜか違和感を覚える。清水社長の責任の取り方は、避難住民に土下座をして回ることなんだろうか。確かに、お詫びすることも重要だとは思う。しかし、これほどまでに罵詈雑言を浴びせかけられながら、それでも忍従して卑屈に謝りつづけなければならないのだろうか。東電のトップにそんなことをしている暇があるのだろうか。
 言ってしまえば、清水社長がいくら地面に額をこすり付けたとしても何の解決にもならない。避難住民のほうも、清水社長を面罵しても声が枯れるだけ損だ。
 何時間をかけて個々の住民に謝ってまわったとしても、それは時間の無駄なのである。そのことで何かが生まれるというものでもない。それでも、とりあえず詫びを入れることは大切なので、マイクを使って避難住民全員に対して一括お詫びをすればいい。
「個々の皆さんに直接お詫びをするのが本意ではございますが、福島原子力発電所の状況は一刻の猶予もなりません。すぐに本部に戻り、対応を進めなければなりません。どうぞ、急ぎ本部に戻ることをお許しください」
 そして、こう付け加えろ。
「皆さんのご負担に比べれば些細なことですが、私は私の持っている私財すべてを投げ出しました。その財が少しでも被災地の復興にお役に立てられればと思っています。裸一貫になりましたが、幸いに命だけは長らえています。この命の続く限り、福島原発の対応に、皆さんの生活再建に、全身全霊を尽くす所存ですので、今しばらくのご不便をおかけしますが、なにとぞご理解とご協力をいただきたいと存じます」
 私財を投げ出すこと、これが重要なのだ。これをやってしまえば、被災住民の東電に対する感情もかなり違ったものになってくるだろう。勝俣会長も清水社長もこれをしないから、ちっとも潔く見えず、ゆえに東電はダーティーなイメージを引きずったままなのである。
(下に続く)