コンセンサスという魔物

《「想定超え」津波は考慮せず》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110327-00000042-jij-soci
原子力安全委員会の耐震設計特別委員長を務める入倉孝次郎京都大名誉教授(強震動地震学)が27日までに取材に応じ、「想定超えは常にあり得るという設計思想が、津波に対しては浸透していなかった。責任を痛感している」と語った。》
 日本でもトップクラスの研究者がこの程度の認識しか持っていないところが恐ろしい。
 東京大学大学院のゲラー教授が指摘するように、この60年の間に5回も発生したマグニチュード9超の地震が想定外のわけがない。もちろん、入倉さんもそんなことは当然知っている。しかし、想定できなかった。なぜか。その秘密はここにある。
《指針の中に、津波の想定を詳しく書くべきではなかったか。入倉さんは「指針はとても強いもの。書かれると事業者も規制当局も何とかしないといけなくなる。地震と違って過去に津波被害はなく、コンセンサス(合意)を得るのは難しかった」と明かした。》
 これ。
 この「コンセンサス」が曲者だ。衆議にかけてコンセンサスを得ようとすると、どうしてもプランから先鋭さが消えていく。多くの人の意見によって尖った部分が取られてしまうのだ。このためにプランは丸くて利害関係者の誰もが納得できる骨なしのぶよぶよなものになって、はいおしまい。

 例えば「桶狭間の合戦」である。
 織田信長が合戦にあたって家臣のコンセンサスをとれば、まず、清須城での籠城案が採択される。それでは、信長の未来は完全に潰えていた。信長がコンセンサスなどというものを踏みにじって、単騎熱田の杜にむかって走り出したから、今川との戦いで勝機を得たのである。
 この一連の織田・今川戦争において織田軍の運用を原子力安全委員会がやっていたら、織田家は間違いなく滅亡していた。

 話がすっ飛びましたが、それは菅首相にも言えることで、このような国難に際しては、コンセンサスなどとっている暇はない。必要なのは強力なリーダーシップである。本来なら菅首相がその役割を果たさなければいけないにも関わらず、どうも、この阿呆はなんとかコンセンサスをとって災害対応をしようとしているふしが見受けられる。菅首相の下にいくつ災害対応の組織をつくっても無駄だ。作るならば現場だし、首相がそれらを強引にでも引っ張っていくだけの覚悟と力量がなければ意味がない。
 日本の置かれた現状を「桶狭間の合戦」になぞらえると、織田家の敗北は近いような気がする。