城址の静かな喫茶店

 昨日、安城市歴史博物館に行く。
 ここは、作家の宮城谷昌光さんも訪っている。宮城谷さんの著書『古城の風景』(新潮社)から引く。
《その博物館は安祥城址に隣接しており、三河の歴史に関心がある人々をこまやかにもてなす機能をもち、館内はひろびろとしているので、城めぐりの旅人にとってはオアシスのようなところである。》
 その博物館の東南の角に喫茶店が併設されている。そこは宮城谷さんも立ち寄られ、コーヒーを飲まれたことを『古城の風景』の中に記してある。
 喫茶店の東と南が全面ガラスで、隣接する城址が広く見渡せる。東窓の目に前は、安祥城の本丸の切岸(きりぎし:土塁のような崖)が立ち上がっている。この時期にはうっそうと生い茂った青葉で覆われ、全面ガラスが一枚の翠嵐屏風に見える。
 南窓は開けている。博物館と一体整備された公園が一望できる。公園の西側に南へ延びる小高い林が安祥城の二の丸となっている。そしてこの喫茶店を含む博物館の建っているところが、三の丸ということになる。

 さて、その安祥城である。この城は、戦国中期、松平一族が50年ほど勢力の拠点としていた。しかし、織田、今川の端境にあるため、取ったり取られたり、常に戦乱の舞台となっている。
 中でも大きな戦乱は天文18年に8カ月にわたって繰り広げられた「安祥城の戦い」である。この時、安祥城は織田の勢力下にあり、織田信秀(信長の父)の弟の信広が城主として守っていた。攻城方の今川は軍師の大原崇孚雪斎(たいげんすうふせっさい)を大将に、岡崎城を根城として、矢作川を渡り、安祥城周辺に軍を進めている。

 城址周辺には、安祥城の合戦の戦没者を埋葬したという塚があちこちに存在する。「富士塚」「東条塚」「千人塚」……近年の道路工事では、その辺りから人骨が多数発見されたという。
工事担当者が塚の小さな石を持ち上げようとしたところまったく動かず、その後、担当者の頭髪が全部抜け落ちてしまったなどという話が実しやかに伝わっている。
 真偽はわからないが、戦国期、このあたりが戦場であったことは間違いない。それから永い歳月が過ぎ、今は夏草に覆われた静かな城址となっている。

 おっと、コーヒーがはいったようだ。