本能寺の変

 この国の歴史の中でもトップクラスの人気を誇る織田信長が、天正10年(1582)6月2日の未明に京都本能寺に斃れた。享年49歳である。この時期、対外的には魔王のような強さを見せた信長だったが、内にいる敵には脆弱だった。まさか、近衛師団を率いる明智光秀が造反するとは夢にも思わなかったに違いない。だから、本能寺の警護は甘く、そこを光秀に突かれた格好だ。

 私は中世日本に彗星のごとく現れた危険な英雄を惜しむ。もしこのまま信長が成長していったときに、どこまで日本の版図を広げただろう。『信長公記』など信長に関する文献をずいぶん漁ったけれども、この人物を知れば知るほど、その可能性の広大さに驚かされる。まだ、49歳でしかない。74歳で死んだ毛利元就徳川家康まで25年もある。北条早雲ならばまだ37年も生きることができる。この時間を信長に渡せば、果たしてこの国の歴史はどうなっていただろう。

 例えば信長は南蛮貿易を好んだ。当然のことながら日本を平定すれば信長の意識は南へ向く。ルソン、シャム、大越、廣南……軍事力を背景に、南海(南シナ海)に漕ぎ出して行っただろうということは想像にかたくない。そうなれば、権益をめぐってイスパニアポルトガルといった国々と軋轢が生じる。きっと南海で南蛮人相手に織田海軍が大活躍したんでしょうね。
 信長の力量をもってすれば東南アジアからヨーロッパ勢を排除してしまうことはさして難しくないだろう。37年も信長に時間があったと仮定してごらんなさいよ。魔王信長が海洋帝国を東アジアに樹立できないと思いますか。

 美濃国土岐出身の明智光秀と私はルーツを同じくする。だからこの謀反を起こした能吏武将をさほど嫌いではない。しかし、信長の夢の成長を止めてしまったこの一点に限って、バカなことをしたと思っている。結局、光秀は目先しか見えない官僚タイプの人材でしかなかったようだ。

 さて、時代は下って平成23年永田町の変ならぬ、永田町の変なやつは不信任決議案を突き付けられた。織田信長のスケールには足元にも及ばない変なやつの進退はどうなるだろう。元々出処進退が潔くない人物だから、往生際も悪いんだろうなぁ。不信任案が可決された場合、自らが退陣することを選択せずに、解散に打って出たら大混乱になる。引き際が大切なんだが、菅首相にそれを求めることは「木に縁りて魚を求む」ようなものか。

 天にある信長の霊よ。あなたが愛したこの国のためにどうか菅内閣を葬り去ってくれ。