志のある人は必ずいる その1

 太平洋戦争におけるインパール作戦の総司令官が牟田口廉也中将である。この人物、数多の日本陸軍将官のなかでも愚将のトップに挙げられる人物といっていい。夜郎自大な頭でっかちで机上の話は得意だが、現場では尻ごみをして部下に責任を転嫁するというもっとも情けないタイプだった。この人の腰抜けさはつとに有名で、大敗北を喫し、多数の将兵を死なせてしまった後に、牟田口は参謀に自分が自害すべきかどうかを聞いたというからお笑いだ。
 参謀は(もちろん牟田口の部下ですが)激しい口調で、
「昔から死ぬ死ぬといった人間に限って死んだためしはありません!」
 と上官を怒鳴りつけたそうだ。
 もちろん牟田口は自害などしない。地獄のような泥沼のジャングルに多くの部下を置き去りにして、さっさと日本に帰ってしまう。
 戦後は、インパールの大敗北の責任を、部下である三人の師団長になすりつけ終始言い訳をしてその余生を過ごした。昭和の軍人の中でワシャがもっとも嫌いな男である。

 こんなバカがいる反面、名将もいる。こういう人物がいてくれるお蔭でワシャは日本人としての誇りを持ち続けられる。
 今村均(ひとし)大将である。
 この人はとてつもない器量人で、牟田口など足元にも及ぶものではない。地獄のガダルカナル撤収作戦を成功させ、その後、ラバウルを死守する。敗戦後は、オランダ、オーストラリアの軍事裁判にかけられて何の罪もないのに、10年の禁固刑を言い渡され巣鴨プリズンに収監される。ここで今村さんは、マッカーサーに直訴する。牟田口なら、牢から出たいがために自分の無実を喚きたてるところだろうが、今村さんは違う。
「自分の部下たちがマヌス島(赤道直下、東ニューギニア)の収容所で苦労しているのに、自分だけが日本にいることはできない。自分を部下と同じマヌス島で服役させてくれ」
 とマッカーサーに頼んだのである。言えますか?こんなことが……。
 マッカーサーは、今村さんの希望を入れて、すぐさま、彼をマヌス島に送った。部下たちがどれほど喜んだことだろう。自分たちと一緒に刑期を務めるために、総大将が、居心地のいい日本から灼熱の収容所にやってくるのである。希望を失っていた将兵もいたに違いない。しかし、今村さんのこの行動でどれほど多くの部下が救われたことだろう。
(下に続く)