キャラクターを造る(立川談志と黒沢明)

 土曜日の日記で、黒沢明のノートの話をした。その後、立川談四楼『記憶する力忘れない力』(講談社+α新書)を読んだ。そうしたら同じことが書いてあった。
《二つ目になるかならないかの頃、ケイコをつけてもらいながら、質問を受けたことがあります。逆質問ですね。いや、あれは詰問でした。そう、詰問の嵐、談志が速射砲のように言ったのです。》
「おまえが演る八五郎の年はいくつだ?」
「仕事は?」
「身長は?」
「太ってんのか痩せてんのか?」
「カミさんはいるのか一人者か?」
「酒はどれくらい飲む?」
「バクチは好きか?」
「ケンカはどうだ?」
「生まれはどこで親はどうしてる?」
「隠居の年はいくつだ?」
「連れ合いの婆さんの歳は?」
「いくつで隠居したんだ?」
「それまでの仕事はなんだったんだ?」
「倅に家督を譲ったとして、その倅はどこでなにしてるんだ?」
「倅はときどき来るのか?」
「こっちから行くのか?」
「孫はいるのか?」……。
 上記が、談志師匠が談四楼さんに打ち続けた質問の一部である。そして、この質問は落語の本質にはなんら関係がない。物語にとってはどーでもいいことばかりだ。しかし、この部分が明確になっているかなっていないかで、物語の奥行きが違ってくる。その雰囲気が醸し出せるかどうかで、作品の味わいが変わってくる。黒沢監督も談志師匠もそのことを伝えようとしているのだ。
 蛇足だが、談四楼さんが、速射砲の攻撃を受けた落語は「道灌」ではないだろうか。
「道灌」は八五郎と隠居が出てくるし、背景として隠居の連れ合いの婆さんも出てくる。落語の冒頭に甘味菓子の「金つば」の話があるので、そこから、「酒は飲めるか?」「太っているか?」の質問につながる。八五郎の長屋のシーンで、カミさんの登場はない。あれば、「カミさんはいるのか?」という質問にはなるめい。
 よって、このエピソードの時に演っていた噺は「どうかん」がえても「道灌」ということで。おあとがよろしいようで。