老いと死と

 昨日の「報道特集
http://www.tbs.co.jp/houtoku/index-j.html
で、特別養護老人ホームでの個室か相部屋かという論議が展開されていた。そんなものは個室に決まっているので別段どうでもいい。問題は、特養の廊下を徘徊する老人たちである。
 現代の姥捨て山のような特養で、痴呆の老婆が廊下をうろうろと歩き回っている。何をするのでもない、命の灯が消えるその日までただひたすら歩き続ける。
 むう……考えさせられてしまった。この老婆、何を考えて廊下を右往左往しているのだろう。この生になにかしらの意味があるのだろうか。
 まだ、ワシャが若いせいなのかもしれない。しかし、ワシャが高齢者になったとき、こんな姿を見せたくないなぁ。まだ自分の意識の中に誇りがあるうちに、適切な判断をしたいと思う。

 明日、9月13日は、乃木希典陸軍大将と静子夫人の命日である。ここに一枚の写真がある。1912年9月13日朝の夫妻の写真だ。正装でソファーに座り新聞を読む白髭の乃木将軍とソファーの背後に控えている静子夫人が写っている。二人の様子はことごとく自然で、今から死出の山に赴こうとしているようには見えない。この言い方は正確ではない。実際にこの写真に写っている段階で、死を決しているのは乃木将軍だけである。ただ静子夫人にはある予感があったはずだ。明治大帝の大喪の日を良人は生きて越すことはないだろうという確信と言ってもいい。
 御霊柩が宮城をお出ましになる午後8時頃の、乃木将軍の心情を司馬遼太郎はこう推し測っている。
《かれは先々月、先帝の死とともに死を決意したあとも静子のことが気がかりであった。二児を非業に喪い、さらに夫を非業に喪うというほどの打撃をこの静子にあたえたくなかたし、その老後の寂寥をおもうと、むしろ死を選ばせた方がいいとおもっていた。》
 そのことを静子夫人に伝えると、「実はあなたを見送ってから、家財の整理などを済ませて後を追うつもりだ」と言う。
「それならばいっそ、いまわしと共に死ねばどうか」
 司馬の作品の『殉死』では、乃木希典にそう言わせている。そう言ったかどうかは確かではないが、将軍と夫人が見事な最期を遂げたことだけは間違いない。
 この時、乃木将軍は63歳、明治末年の時代にあっては高齢者といっていいだろう。しかし、その後、乃木将軍は老いさらばえず、乃木希典というドラマのラストを見事に飾って彼岸へと去った。