昨日、知人から縦16センチ、横12センチの小冊子をいただいた。
「家の整理をしていたらこんなのが出てきました。ワルシャワさんなら何かの役に立つと思って持参しました」とのこと。
いただいた小冊子の表には「昭和八年十二月」と「愛知縣安城町一覧」と印刷されている。くつろげると縦72センチ、横48センチの地図が折りたたまれていた。その地図の裏面は町勢の統計資料となっている。
沿革にはこうある。
「明治三十九年縣下町村合併ニ伴ヒ同年五月一日元安城、古井、赤松、福釜、箕輪、今、里、平貴八ケ村ニ長崎村ノ一部大字篠目ヲ合シ安城町ヲ設置セラレ町役場ヲ大字安城ニ置キ爾来區ヲ十七區ニ分チ自治行政ヲ掌ル」
ふ〜ん、安城市は明治39年に合併によって出来上がったのか。
統計資料を見てみよう。
「人口」は21,983人である。現在が18万人いるから9分の1程度か。おっと、士族と平民の区別もありますぞ。士族が20人、その家族が118人、その他は平民でやんす。
「車両」という項目もある。乗客自動車20、貨物自動車30、自転車4450、馬車牛車117となっている。現在は、2004年の資料だが、自動車だけで12万台を超している。まさに隔世の感がありますな。
「町吏員」という項目が笑った。町長1、助役1、収入役1、書記21である。行政をあずかるものが24人しかいない。すごいな。人口規模から言えば、例の阿久根市と大して違わない。阿久根市には258人の職員がいるから、当時は10分の1の職員でまかなっていたんだね。今、行政でやっていることのほとんどを住民がやっていたから、ここまで軽量級な役場でも事足りたのだろう。しかし、興味深いのは「議会」の項目だ。町会議員が30人いる。この数は現在の安城市の議員数と同じである。役場職員の数よりも多い。これはちょいと調べてみる価値がありそうだ。
時代を感じさせる項目に「兵事」という項目がある。「陸軍」は現役下士官5、兵62、予備役170、後備347、補充兵614。「海軍」は現役将校2、準士官1、下士官9、兵17、予備役9、後備6となっている。昭和7年には上海事変が起きてはいるが、国内的には平和な時代だった。それでも、軍事は市民の隣にあって、それが普通だった。
警察はというと、21,000人の町にたった1人である。のんびりしたいい時代だったですね。