腰パン国母と幕末の話 その1

 冬期オリンピックが不本意なところで盛りあがっている。
http://www.sanspo.com/vancouver2010/news/100213/oap1002132201015-n1.htm
 スノーボードハーフパイプ国母和宏(21)の服装問題とその後の不貞腐れ会見問題である。
 基本的にワシャは「どーでもいい」と思う。頭の悪い若者が未熟ゆえに“公”と“私”の区別がつけられなかっただけのことで、そんなヤツはそれこそ山のようにいる。たまたま「腰パン」がオリンピック選手だったから大騒ぎになっただけのことでしかない。これが普通の三流大学生ならなんの問題にもならなかった。
 ただ、ここにきて少し不愉快に思うのは、腰パン国母の態度の変化である。服装を崩して上層部に反抗するにしても、舌打ちをしてマスコミに不満を示すにしても、やるんだったら終始一貫してやらんかい!未熟なら未熟でいい。阿呆なら阿呆でいい。つっぱるんなら最後までつっぱれよ。橋本聖子が説教たれようが、ジャック・ロゲが怒ろうが「うっせーな、オレがどんな格好しようがお前らに迷惑かけたか?文句あるなら代表をおりればいいんだろう」くらいの啖呵をきって公式ユニホームを脱ぎ捨ててみろ。自分のスタイルを貫くというのはそういうことだ。それができないようなら最初からつっぱるんじゃない。

 幕末の話をしたい。
 現代のトップアスリートがオリンピック選手なら、江戸時代末期、幕末のアスリートは剣士ということになる。その中でもトップアスリートは鏡新明智(きょうしんめいち)流の士学館神道無念(しんどうむねん)流の練兵館北辰一刀流(ほくしんいっとう)流の玄武館、心形刀(しんぎょうとう)流の伊庭道場、いわゆる江戸の四大道場に集った。
 蛇足ながら付け加えておくと、当時の剣術道場は総合大学というべきものだった。ただ単に剣技を習得するだけのところではない。一般教養も教えれば、西洋式砲術も教示し、座学も習得しなければ免許皆伝は難しかった。だから、士学館で塾頭をつとめている武市半平太(土佐)、練兵館の塾頭の桂小五郎(長州)、千葉道場で剣の修行した坂本龍馬(土佐)などは剣の腕も抜群だが、学識についても日本のトップだった。彼らは青雲の志に燃えるだけの普通の若者ではなかった。
(下に続く)