絶滅危惧種の原和美さん
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(新社会党副委員長)が、またまた「たかじんのそこまで言って委員会」に出ておられた。テーマは「核の廃絶」で、やっぱりこの人の主張は「憲法9条の護持」だった。とにかく「憲法9条」を世界に広めて、「憲法9条」を唱えてさえいれば、世界平和間違いなしという宗教なのだからどうしようもない。どうしてサヨクはこうもリアリティが欠如しているのだろうか。
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』(岩波新書)の103ページに7.5cm×5.5cmのカラー写真が掲載されている。キャプションには「虐殺された農民」とある。虐殺現場をロングで撮っていることと、写真が小さいので詳細は見えないが、それでも10人ほどの農民が殺されているのがわかる。撮影者がこの写真の中心に据えたのが首のところまで衣服をたくし上げられ剥き出しの両足を大きく広げている女性の死体だった。
この死体が何を意味しているのだろうか。
本文を読むと、ここがベトナムのミィドゥク村で、国境を越えて襲ってきたカンボジア兵によって村民が殺害された、とある。もちろん、下半身を剥き出しにした女性の死体は、ただ殺害されただけではない。襲ってきたカンボジア兵に輪姦された上で殺害されている。
残念ながら戦争(暴力)というものはこういったものなのだ。カンボジア兵が村を襲撃した時、この農民たちが「武力は放棄して話し合いましょう」「日本国の唱える憲法9条精神でお互い平和に暮らしましょう」とでも主張していれば、カンボジア兵はこの村を攻撃せずに他の村にむかっただろうか。村人に手を振りながら通過して行っただろうか。
そんな都合のいいことが起きるわけがない!
この村の人たちが少しでも生き残るためには、武装しておくことが必要だった。あるいはベトナム軍に守ってもらうしかなかったろう。そうなれば、進駐してきたカンボジア兵との間で戦闘になる。そして戦闘に巻き込まれて何人かの村人は犠牲になったかもしれない。しかし、皆殺しにはならずに済む。男は死ぬかもしれないが、女や子供は蹂躙されずに助かるかもしれない。虐殺されるのを、手を拱いて待っているか、生きるために銃を持って抵抗するしかないのである。これが現実なのだ。
(下に続く)