間伐をかんばつた

 昨日、長野県の山で間伐をしてきた。車で林道を山奥まで分け入り、車を降りて岨道(そわみち)を30分ほど登って、ようやく間伐現場である。急斜面に直径20cmほどの杉が林立している。実際には大した傾斜はないのだろうが、体感的には45度を超しているような気がする。
初めて間伐をする仲間は悲鳴を上げた。
「もっと平らなところはないの!」
 その問いに対して、間伐の下ごしらえをしていた初老のキコリがぼそっと答えた。
「この山に平らなところなどねえ」
 確かに見渡しても、足場の良さそうなところはなさそうだ。杉に掴まっていないと間違いなく谷に落ちていく。仲間の何人かは斜面に立っているだけで必死だった。あれじゃぁ間伐作業などできまい。
 その点、ワシャには東美濃のキコリのDNAが入っているから大丈夫だ。母方の大伯父はその一生を山の世話だけで終えたような人物だった。東美濃の実家に帰ると大伯父は歓待してくれたなぁ。伯父の子どもたちはすでに独立して家を出ていたので、末妹の子どものワシャは可愛がられた。
 伯父は何を思ったか、時折、山仕事に行くのに小さなワシャを伴なった。ひ弱な町の子に山の厳しさを教えたかったのか、一人で行っても退屈なので暇なガキを連れていったのか、今となっては確かめる術もないが、担がれるようにして山に入った記憶が残っている。伯父の広い背中越しに見た山の風景は、エキサイティングだった。いつもわくわくしていたことを覚えている。
 どのくらい山を歩いたんだろう。尾根を歩き、谷をわたり、上がったり下がったりしながら、見晴らしのいい場所に出たような気がする。ワシャは荷物とともに大きな切り株に据えられて、鈴と藁を束ねた蚊遣りを持たされた。
「熊が来るといけねえから、これ時々ならせ。オジさんがもどってくるまでここを動いてはいかん。動けば熊に見つかる」
 そう言われれば動けませんわ。岐阜の山に熊がいたかどうか定かではないが、熊恐さに必死に切り株の上でチリンチリン鳴らしていた。その音がしている限り伯父は安心して山仕事に専念できたわけだ。
 
 うわっ!思い出に耽っていたら足を踏み外してしもうた。落っこちると思ったが、下にいたオジさんが腰の辺りを支えてくれたので助かった。
「気をつけねば……」
 そう言って、ワシャを追い越し、斜面を登っていくキコリに伯父の臭いを感じた。こういった人たちが日本の山を守ってきたんだなぁ。そう思うとそのオジさんの背中が頼もしく見えた。