つまらぬ理由で故郷を沈めるな その1

 矢作川の最上流部、愛知県と岐阜県の境に矢作ダムはある。ダムは1962年に着工され1970年に完成をみた。これにより、116万8620キロワットの水力発電が可能となり、下流域の水利も確保できた。ただし愛知県旭町と岐阜県串原村で合わせて177戸が水没した。
 知人にこの地区の出身者がいる。その人は歌人でもあるのだが、一時期は水没する故郷のことばかりを歌っていた。ワシャもチビチビの頃、水没する前のその地区を訪なったことがあるが、村の中央をせせらぎが流れるそれはそれはいいところでしたぞ。わら屋根の民家もごく普通に建っていて、神社の裏にはトトロのねぐらになる大きなクスノキがあった。今、思い起こしても素敵な空間がそこにあった。
 ダムは完成し、水が貯えられはじめ、村は湖底に沈んだ。歌人の里はこの世から消えてしまった。
 近年、異常渇水の年があって、矢作ダムの貯水量が激減したことがあった。たまたま、その時期に奥矢作湖を通りかかったことがある。そのときに剥き出しの湖底を見ることができた。村の丘も土手も道路もせせらぎのあった細い谷も、沈んだ時そのままの形で、泥にコーティングされた死のオブジェとして保存されていたのである。
(下に続く)