森ドンの悪行

 1年前の9月22日だから、それほど遠い昔というわけじゃない。でも、印象としてはずいぶん昔のような気がする。自民党の総裁に麻生太郎氏が7割の票を押さえて圧勝し、2日後の24日に麻生内閣がスタートした。マスコミはこぞって「選挙管理内閣」と呼び、近々総選挙があると喧伝したけどウソでした。麻生首相はダラダラダラダラ言い訳をしつつ、内閣支持率の高下など意にも介さずノーテンな楽観でついに10ヵ月も首相の座に居座り続けた。

 この牛の小便麻生内閣発足を知らせる2008.9.25の朝日新聞2面に面白い記事があるんですな。
「オレ流組閣 ドンの影」
 この見出しはドンな意味なんでしょうね。1年前の新聞をちょこっと読んでみますね。
《「主役はオレ」と言わんばかり。麻生首相の初組閣は、派閥のバランス無視、新たな「選挙の顔」探しに躍起になるわけでもなく、自民党総裁選で応援してくれた仲間で固めた。祖父譲りのワンマンぶりに、政権の生みの親たる森元首相》ほらほら、実は政権発足時から爆弾が仕込んであるじゃあ〜りませんか。続けますね。
《政権の生みの親たる森元首相が猛反発。さすがの首相も、最大派閥のドンだけは無視できなかった。》
 せっかく麻生さんが、お友だちばっかりで楽しい内閣を作って、おもしろおかしく首相をやろうとしていたのに、フィクサー気取りの森ドンがニューヨークから麻生さんに電話をしてきたんですね。
「オレの派閥から中山成彬だけじゃダメだ。塩谷を入閣させろ」
 これ以外にも森ドン派閥のごり押しで、組閣人事は二転三転する。麻生首相の能力の低さは森ドンの責任ではないが、組閣へ圧力をかけた責任は大きい。その内閣が機能不全に陥り、自民党が総スカンを食った。森ドンに自民大敗北の責任の一端は必ずある。150年前なら切腹だ。それをどの面を下げて永田町に戻ってきたんだろう。政治家というのは面の皮が厚くないとやってられないというが、こんなゾウの足の裏のような鉄面皮も見たことがないわい。
(下に続く)