読書が広がっていく その1

 先日、いつも(毎日)立ち寄る本屋で、宮城谷正光『他者が他者であること』(文藝春秋)を買った。エッセイである。読みやすかったので小一時間ほどで読んでしまった。しかし、その中に司馬遼太郎藤沢周平について触れた文章があったから、さあ、大変。ここばかりは3度読み直した。
 ここで、宮城谷さんは、司馬遼太郎「貂(てん)の皮」、藤沢周平「黒い縄」という短編小説を絶賛していた。ワシャは「名短編」という言葉に弱い。早速、書庫にもぐりこんで二つの作品を探しましたがな。
「貂の皮」は短編集『馬上少年過ぐ』(新潮文庫)に収録されている。司馬本はあらかた持っているので直ぐに見つけて読んだ。宮城谷さんはこの短編の感想を次のように言っている。
《この作品のおもしろさは、外側からはわかりにくいかもしれない。が、内側にはいると、いかに司馬さんが、もっている史料を捨てたかがわかり、歴史小説とは史料を捨てる勇気がなければ書けぬ、ということをこれほど明確に教えてくれた作品はない。》
 う〜ん、読んだけど、外側を楽しんでしまったので、内側に入れずに捨てた資料までは解らなかった。
 藤沢本は40冊ほど持っているが、「黒い縄」の収録されている短編集『暗殺の年輪』(文春文庫)は見当たらない。そうなると猛然と読みたくなるのが、悲しい性(さが)である。とりあえずネットで注文をしておいたが、それでは欲求が納まらなかった。仕方がないので、他の短編『雪明かり』(講談社文庫)、『時雨のあと』(新潮文庫)を慰めに読みましたがな。久しぶりに藤沢作品に触れて、ますます「黒い縄」が読みたくなってしまった。ええい、こうなったら近所の本屋をしらみつぶしだ。ついにワシャは本を探す旅に出たのじゃった。
(下に続く)