無法者の自動車より蒟蒻が危険か?

 10日に自民党消費者問題調査会で「こんにゃく入りゼリー」の規制を議論したんだとさ。ご苦労なこって。その中である衆議院議員が「モチは昔から死亡事故が多い。こんにゃくゼリーだけの規制でいいのか?」と指摘したことについて、野田タコ聖子はこう答えている。
「モチは喉に詰まるものだという常識を多くの人が共有している」
 だったら、今回の異常な事件報道で日本国民は、こんにゃくゼリーは詰まるものだという常識を共有したに違いないから、モチと同じ扱いでいいじゃん。
 それにしてもだ、国会というところは世論から大きく解離した愚者の館ですな。三世議員の河野を始めとするアンポンタン議員たちが激高してこんにゃくゼリーを糾弾しているが、Yahoo!ニュースの意識調査では「事故対策として業界がすべきことは何か?」という質問に対して半数が「何も必要ない」と答えている。「こんにゃくゼリーの販売をやめる」は7%でしかない。常識のあるブロガーたちの意見も「なぜこんにゃくゼリーだけを論うのか」という論調が多い。

 養老孟司さんがこんなことを言っている。
《「ヒトの体は、じつにうまくできていますナァ」
そう感心しているヒトが、ときどきいる。こういう人が、正月にモチをノドに詰めて死んだら、いい気味であろう。》
養老先生、かなり過激なことを仰っている。そして、こう続ける。
《なぜなら、生きるためにどうしても食べなくてはならない食物というものを摂って、その食物が、生きるためにはどうしても吸わなければならない空気の通路をふさぎ、挙げ句のはてに、本人は死んでしまう。これでどうして、ヒトの体が、
「うまくできている」
などとシャアシャアと言えるのか。》
養老先生は、人間のノドという器官は欠陥品だというのだ。豚の喉は食物と空気の通り道が区画され交差していない。だからエサを食いながら息を吸うことができる。しかし、人間様のノドは舌の奥のところで食物の通り道と空気の通り道が交差しているから大変だ。飲み過ぎで嘔吐している時に息ができないのもこのためなのじゃ。二世三世の馬鹿どもが、どんな規制を作っても、人間のノドの形態が変わらないかぎり、1995年以来17件も発生しているこの手の事故は防ぎようがない。そんな瑣末な議論をしている暇があるなら、1995年以来、99,578人の死者を出し、14,023,281人の負傷者を出している自動車を規制してみろよ。