沙門空海唐の国にて鬼と宴す

 全巻を読み終えた。1日で4冊は久々の集中読書だったわい。途中で日記を書いた以外は一気呵成に読み終えた。総原稿枚数2,600枚、このボリュームは『カラマーゾフの兄弟』の3,000枚に肉薄するものだ。
 昨年末に『カラマーゾフの兄弟』を課題図書にした読書会があって、亀山郁夫版全5巻に挑戦したが、ずいぶん読むのにてこずった。とにかく『カラ兄(キョウ)』の前半の退屈さは只者ではなかった。それに比べ『空海』は面白かった。ロシアの文豪が書いた古典とエロスとバイオレンスとオカルトの作家が書いた大衆小説、ワシャは断然『空海』を押すね。
 哲学者の中島義道は『観念的生活』(文藝春秋)の中でドストエフスキーを「哲学的思索が皆無」だとして扱き下ろしている。ワシャにはそんな難しいことはわからないが、少なくとも空海橘逸勢(たちばなのはやなり)が駆けまわった長安城の方がカラマーゾフの兄弟がうろうろしたモスクワ近郊の町よりもリアルにイメージが出来た。そういう意味から、ドストエフスキーよりも夢枕獏の方が筆達者だと思う。
 その筆に誘われて、読み始めて間もなく作品の世界にスルリと入りこんでしまった。空海と邪悪なものとの闘いの成り行きを長安城の通りの物影からワクワクしながら覗き見る楽しさ、まさに読書の醍醐味ここにありといったところだ。
 このところ、この手の娯楽小説から離れていたので、久々の至福の時を過ごすことができた。とにかく昨日1日、ワシャの回りは9世紀初頭の興隆著しい長安の都だったのだから。夕べ遅く、空海、逸勢とともに日本に戻らねばならなくなって非常に寂しかった。だから少しだけ気が9世紀の長安に残っている。本当は「環境」の本を読まなければいけないところだが、本屋に行ってそのあたりの残滓を嗅ぎたいと思っている。
 午前10時、本屋が開いた。では行ってまいりますぞ。