師匠(続)

 いい師匠との出会いは人生という道を明るく照らしてくれる。反面、悪いのに出くわすと道を曲げられて取り返しがつかぬことにもなりかねない。成長しきっていない未熟な子どもにこういった悪教師は劇薬と言ってもいいだろう。
 司馬遼太郎の有名なエピソードに「New York」の話というものがある。中学1年生の司馬少年は、英語教師に「この地名にどんな意味がありますか」と質問をしたそうだ。ここからは司馬の文章を引く。
《先生に質問すると、反応が激烈だった。怒声とともに、
「地名に意味があるか!」
 おそらく、意図的な授業妨害と思われたにちがいない。さらにその人は余憤を駆って、お前なんかは卒業まで保たんぞ、などといやなことまで言った。》
 司馬さんは、英語教師との葛藤を糧にして「独学」で学業を進め、アホのワルシャワは、英語教師をからかうことに3年間を費やしたために超アホになってしまった。このあたりが偉人と凡人の違いだろう。

 大学でも社会に出ても「これは!」と思うような師には出会えなかった。というかこっちの目が啓いていなかったんでしょうな。
 ようやく自分の周囲が見え始めたのが、司馬作品を全巻読み終わった30代後半くらいだ。その頃からいい師匠が見えるようになってきた。司馬さんを始めとして、書籍の中には数多の優秀な先生が存在していることに気づいたし、ここ数年は何人もの知の師を得ることもできた。そのお蔭でワシャの辿る人生の先行きはずいぶん明るくなりましたぞ。

 最近はずいぶんと謙虚になった。吉川英治が言うとおり「われ以外はみなわが師」だと思っているし、司馬竜馬の言う「偏見をもつな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間ならおれは受けるわい」に頷けるようになった。めでたしめでたし。