一服の遼

 不愉快なことが続いている。体調は相変わらず良くない。その上に無知な上層部の思い込みで無意味な組織替えを強いられている。最悪な気分だ。
 同様のことが数年前にもあった。現場になんの相談もなく担当業務が大幅に変更され、水と油のような業務が合体させられた。理由を問うと「合理化」で「名前が似ているからくっつけた」んだそうだ。それが理由になるかよ!管理部門の思いつきのような組織改変は、いくつもの問題を引き起こした。これはまずいということになり、組織を元に戻すため2年もの歳月がかかった。今、水と油は分けられて元通りになりスムーズに事業展開が進んでいる。バカな管理部門のおかげで無駄な労力を使わさせられた。
 それと同じ愚を犯そうとしている。またこの間違いを是正するのにどれほどの手数が掛かるのだろう。

 そんな最悪の気分のところに、司馬遼太郎記念館会誌の「遼」が届いた。およよ、今号は辻井喬ドナルド・キーンの講演が載っている。それぞれの視点から見た司馬さん像がユニークで、この講演シリーズは毎回楽しみにしている。辻井さんは「司馬さんは、いつもニコニコして、会っているとまことに気持ちのいい人でした」と前置きをしてこう言っている。
《ファナティックな人、官僚主義的な人、事の真実よりも体裁、面子を重んじる人はすべて嫌いでした。》
 巻末に文藝春秋編集者の斎藤宏さんのコラムが掲載されている。そこにも在りし日の司馬さんのエピソードが紹介されている。有名な政治家がとあるパーティで司馬さんのところに挨拶に来たのだそうだ。
《しかし司馬さんは名刺こそ受け取ったものの、顔をちょっと政治家のほうにひねっただけですぐに正面の相手に戻し、二度と政治家の方を向くことはなかった。》
 新米の記者にすら気を使う司馬さんなのだが、政治屋はことのほか嫌いだったようだ。

 風呂で腰を温めながら「遼」を一気に読んでしまった。気分が塞いでいたところだったので、一服の清涼剤になった。