福知山線の最敬礼(1)

 17日のこと、新幹線で新大阪まで来て、福知山線の特急北近畿(183系)に乗り換えた。うわー、旧式の列車ですなぁ。今にも車掌姿のフランキー堺が現れそうだ。ワシャはがらがらの4号車の進行方向むかって右側の席に陣取った。定刻になり北近畿はわずかな乗客を乗せて新大阪を出発、一区間なのですぐに大阪駅に着く。ここでどっと人が乗り込んで、席は6割がた埋まった。大阪から丹波篠山まで1時間ほどかかる。いつもならすぐに新書や文庫をひろげるんだけど、今回はそうしなかった。実は車窓から確認しておきたいことがあったからだ。

 2005年4月25日午前9時18分のことだった。上りの快速電車が尼崎駅手前の逆S字カーブにさしかかったところで脱線し、線路脇のマンションに正面衝突した。この事故で107人の方が亡くなられた。大惨事だった。
 災害を語るとき、特に地域防災力の必要性を説くときに「JR福知山線脱線事故」の話は説得力がある。だから何度も使わせてもらった。そんな縁もあって現場で手を合わせておきたいと思ったのだ。
 尼崎駅を出るとすぐにかなり弧のきつい右カーブに入った。特急北近畿のスピードは遅い。車両が大きく右に傾いでいる。尼崎中央卸売市場にさしかかる頃には線路は真っ直ぐになっていた。しかし列車はスピードを速めない。まもなく左カーブが始まった。その途端、テレビで何度も見たマンションが右手の車窓いっぱいに現れた。これだ。手を合わせるのも忘れて暫し呆然と眺めてしまった。おおお、車両が突っ込んだ駐車場の入口だ。コンクリートに無数の傷が生々しく残っている。ここがあの大惨事の現場なのか・・・・・・
 件のマンションは後方に去り、列車は直線になって急速にスピードを増した。
(下に続きます)