昨日の朝日新聞「日曜に想う」は福島編集委員の手による。原稿用紙4枚1600字程度のコラムで、全体が3段で構成されている。
お題は《「上からの弾圧」より怖いのは》
https://www.asahi.com/articles/DA3S13837890.html
ここで読めるのはどうでもいい書き出しだけで、相変わらず「あとは登録して読め」と高飛車だ。
それでは順番に見ていきたい。まず1段目である。デジタル版で公開されているところは引く。
《天気図に縦縞(たてじま)が並ぶとき、季節風は雪を降らせて山を越え、関東平野で空(から)っ風になる。去年の師走の一日、吹いてくる風に向かうように列車に乗って、長野県の上田市を訪ねた。》
どうでもいい書き出しでしょ。天気図に縦縞が並べば、北風が吹いて、当然、北に向かって進めば向かい風になるのは当たり前だ。そんなことを短いコラムでとうとうと書くな!
この無駄な書き出しに続けてこう書く。
《関東の冬晴れが、軽井沢を過ぎるあたりから雪催(もよ)いになった。故・金子兜太さんが揮毫(きごう)して昨年2月に除幕「俳句弾圧不忘の碑」は冬枯れた丘の木立の中に静かに立っていた。》
この文章、おかしいですよね。筆者は列車に乗っている。そう書き出しに書いてある。それに続けて「関東の冬晴れが、軽井沢を過ぎるあたりから雪催いになった」と書けば、筆者はやはり列車に乗っていて、車窓から冬晴れの空や雪の舞う風景を眺めているということになる。それが、突然に「冬枯れた丘の木立の中」にワープしてしまうのである。読者がきちんとイメージできるように流れを作っておけよ。冒頭の無駄な文章を削って、そこの移動のところを丁寧に書いておく。あんた「雪催(もよ)い」なんていう語彙まで知っているんだから、書き手がどこに立っているかくらいはきちんと書いてよ。夏井いつき先生に怒られるぞ(笑)。
そんなヘタクソな文章のことはどうでもいい。朝日新聞でコラムを書く連中など、まともな文章など書けないに決まっているからね。そんなことではないんだ。そんな下手な書き出しでも、昨日の「日曜に想う」の1段目、2段目は褒めておきたかった。
おそらく福島編集委員は俳句好きなんでしょうね。二つの反戦俳句を並べていく。
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」
「夏の海水兵ひとり紛失す」
確かに名句である。
ここから2段目で、国会の「外国人労働者受け入れ」の話に持っていくが、それほど違和感を持たなかった。要は、「特定技能1号」などという外国人の扱い方が、水兵を物として見る旧軍の非情さに重なると言うのだ。それも確かにある。この辺りまでは編集委員はまともだった。
しかし、ここからがいつもどおり崩れていく。期待を裏切らない朝日コラムは健在だった(笑)。
3段目で「不忘の碑」に隣接する「檻の俳句館」の話に持っていく。「檻の俳句館」というのは、前述のような反戦を詠んだ俳人が戦前に大量に検挙された事件を取り上げて言論の自由を訴える展示館である。コラムはその館に視点を変えてこう続ける。
《事件で検挙された白泉ら俳人の似顔絵や作品を壁に展示し、一人ずつ鉄格子を取り付けて表現や言論への弾圧を「忘れまい」と訴える趣向になっている。》
ここまではまだ許せる。しかしこの次がいけない。
「ナチの書のみ堆(うずたか)し独逸語かなしむ」
という句を引き合いに出して、朝日節が炸裂する。
《「ナチの書のみ堆(うずたか)し独逸語かなしむ」は時局に便乗した当時の書店の光景であろう。今のヘイト本を想像させる。》
この一文によってこのコラムは台無しになった。というか、本性をあらわした。
現在、書店で堆く積まれている本といえば、百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎)である。「堆く」と形容している以上その本しかないと言ってもいい。ネットではこの話題で持ちきりなのだ。保守は褒め、サヨクはけなす。どちらにしても大騒ぎになっている。
とくにこのところは太田某という弁護士がくだらぬツイートをして炎上し尻尾を巻いて逃げていったということもあって、ホットな話題なのだった。それにこの編集委員はコラムの活路を見出した(笑)。
で、『日本国紀』の名前は出さなくとも、読者が連想できるであろうと踏んで、ヘイト本が堆く積まれている現状を「檻の俳句館」になぞらえて貶めているのである。
編集委員はラストにこう言っている。
《職場や地域など日常の中での「空気」の圧力は誰にも経験のあることだろう。政治色を嗅ぎとられる意見や表現は、近年とみに息苦しさが増している。》
そうですね、近年とみにネットの発達により、朝日新聞に代表される反日プロパガンダの効果が薄くなってきたことは確かで、反日勢力にすれば息苦しさが増加しているのだろう。
原稿用紙3枚目まではよかったが、最後の4枚目で馬脚をあらわしてしまった。残念!