空に消えた名手

 今日の朝刊1面に「燃料漏れ 右主翼接合部か」「中華航空機事故調見解」「配管損傷調査」の見出しが踊っている。それにしても犠牲者が出なくてよかった。
 この事故の第一報を目にして最初に脳裏を過ったのは、26年前の8月22日に起きた台北旅客機墜落事故のことだった。この事故で作家向田邦子さんを含む18人の日本人が犠牲になっている。この二つの事故は奇しくもボーイング737であった。
 向田さんがこの遠東航空の旅客機に乗る1週間前に、たまたま航空機に詳しい人物が同機に乗り合わせた。その時にその人は「この飛行機は落ちる」と思ったそうだ。それほど機体は老朽化し、整備は行き届いていなかったという。そしてこの人の予想通り遠東航空のこの旅客機は墜落した。
 向田さんは前年(昭和55年)に短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞している。これから活躍というところで台湾の空に消えてしまった。短編の名手の片鱗をうかがわせていただけに惜しい人を失ってしまった。

 ワシャは向田さんの本を何冊か持っている。『阿修羅のごとく』に代表されるシナリオや、『父の詫び状』などのエッセイ集、『男どき女どき』などの珠玉の短編集などなど12冊ほどあるかな。その中でもバイブルのようにして読んでいるのが『思い出トランプ』という薄い短編集だ。この中に直木賞の受賞になった上記の3作が入っている。
 向田さん、実は比喩の名手でもあった。短編『かわうそ』から引く。主人公の厚子の描写である。
《細い夏蜜柑の木に、よく生ったものだと思うほど重たそうな夏蜜柑が実っているのがある。結婚した当座の厚子はそんな風だった。さすがに四十を越して夏蜜柑も幾分小さめになったようだが、ここ一番というときになると厚子は上に持ち上げて、昔の夏蜜柑にするのである。》
 巧い。これはなかなか書けるもんじゃない。
 向田さんは読者にわずかな短編しか残してくれなかった。60代の向田さんの名作、70代の向田さんの名品を拝読したかったが、叶わぬ夢である。名手は台湾の空に消えた。