悪者はいつもオスプレイ?

 今朝の天声人語
社会心理学に「正常性バイアス」という用語がある。事故や災害が起きたとき「きっと大したことじゃない」と自らに都合よく解釈し、事の深刻さを見誤ることをいう▼この現象は2001年秋の米同時多発テロでも起きた。旅客機に突っ込まれた高層ビルからすぐには避難しなかった人たちがいた。「ここは大丈夫」「すぐ収まる…》
 登録なしでここまで読める(嘲)。ここまでチラ見せするのなら、せめて文意の通じるところまで読ませろよ。切りのいいところまでワシャが写すわい。
《「すぐに収まる」。そんな思い込みからか避難が遅れ、ビルの倒壊に巻き込まれた▼》
 コラムの冒頭にニューヨークの大惨事を持ってきた。左傾朝日のことだから、ここからオスプレイの不時着話に持っていくだろうことは容易に想像がつく。それにしても比較が極端だ。天声人語氏は喚く。「不時着ではない。墜落だ!」。そうかな?朝日一面の写真を見ると大破はしているが、機体の形状はしっかりと残っていて、なおかつ乗員5人は無事だった。このオスプレイ、帰還先は市街地のど真ん中の普天間だった。しかし乗員はそこへの着陸に危険を感じ、万が一の場合にも住民に被害の及ばないキャンプシュワブに変更した。賢明な判断である。残念ながらその途中で海中に不時着せざるをえず、機は着水の衝撃で壊れた。
 天声人語氏は続ける。《空を見上げて不安におびえながら暮す住民のことなど眼中にないようだ。》それは確かにそうだ。空港の近くに住んでいる方は、離着陸する航空機は航空ファンでもなければ不安に感じるだろう。しかし、それはオスプレイだからということではない。ヘリコプターでもジェット機でも、民間航空機だって怖い。
 それに墜落するのは、オスプレイよりも他の飛行機のほうが多いのである。この間も南米でサッカー選手を乗せた民間機が落ちたでしょ。
 なにが言いたいかというと、空を飛ぶものはみんな怖いのであって、ことさらオスプレイだから論うのはおかしいのではないか、ということである。
 後段はこんなことを言っている。
《政府はオスプレイの必要性を説く際、きまって東アジアの軍事的緊張に対する「抑止力」を言う。国を守るはずの抑止力が空から落ちて生活を破壊する矛盾は語らない。》
 東アジアの軍事的緊張は高まっている。ついこの間も自衛隊機が中共の軍用機にスクランブルをかけたときに、おそらくロックオンをされたのだろう。危機を感じたパイロットはフレアを発射して緊急退避行動をとった。危機は目の前にある。敵はもう攻撃態勢に入っているということを朝日も認識したほうがいい。
 その上で「抑止力」が空から落ちてこないほうがいいに決まっている。できれば静かな方がいい。繰り返すが、空から落ちてくるのはオスプレイよりも他の航空機のほうが多い。
 付け加えれば、普天間周辺で反対運動をしているプロ市民は、航空機の進行方向に障害となる風船を挙げたり、レーザーをパイロットに照射したりしている。そのほうが市街地にはよほど危険だと思うがどうだろう。