津波

 1896年6月15日午後8時30分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード8.5の地震が発生した。地震の揺れによる直接的な被害はなかったが、津波による死者は27,000人を超えている。海沿いの集落に押し寄せた波の高さは38mもあったという。
 これから海のシーズンが始まる。海岸で地震の揺れを感じたら、どんなに小さな地震でも、なりふり構わず高台に避難すること。1993年の「北海道南西沖地震」では、地震発生からたった5分で津波奥尻島を襲っている。荷物やビーチパラソルなんかどうでもいい。猛ダッシュで高いところに逃げることが命を守ることになる。

 昭和35年、国会にも津波が押し寄せた。当時、国会では、政府・自民党が日米新安全保障条約の批准を急いでいた。このため5月19日に警官500人を国会に導入して強行採決に至る。この一件が全国に波及し、民主主義擁護を声高に叫ぶ左翼のデモやストにつながった。
 6月15日、30万人のデモ隊が国会を囲んでいる。あの頃の左翼は動員力があったんですな。右翼の挑発に、イデオロギーに罹患した秀才たちは堪えきれなかったんでしょうね。全学連を中心としたデモ隊700人が国会構内になだれこみ、待ちうけた警官隊と大乱戦となり、東大生1人が亡くなった。
 この時の内閣総理大臣は安倍首相のおじいちゃんである岸信介である。祖父も孫も強行採決が好きだったのね。

 はてさて間近に迫った参議院議員選挙では、民意と言う津波が起きるのでありましょうか。それは今のところ予知不能であります。