諸行無常の頃から地震は恐い

 平家物語の壇浦合戦の後段に大地震の記述がある。
《大地さけて水わきいで、磐石われて谷へまろぶ。山くづれて河をうづみ、海ただよいて浜をひたす。汀こぐ船はなみにゆられ、陸ゆく駒は足のたてどをうしなえり。》
 1185年7月9日に起こった京都大地震の有様である。
《ただかなしかりけるは大地震なり。鳥にあらざれば空をもかけりがたく、龍にあらざれば雲にも又のぼりがたし。白河、六波羅、京中にうちうづまれて死ぬる者、いくらという数を知らず。》
 京洛ではたいへんな被害が出た。もちろん科学的な検証などは行なわれるわけもなく、海底に沈んだ安徳帝、その頸を獄門にかけられた大臣公卿の祟りであると嘆き悲しむのみであった。
 吾妻鏡にも大地震の話が残っている。
《京都、去る九日午剋大地震、得長壽院、蓮華王院、□勝光院以下の仏閣、或は顛倒し、或は破損す、又閑院御殿棟倒れ、釜殿以下の屋々少々顛倒す……》
 鴨長明は言う。
《恐れの中に恐るべかりけるは、ただ、地震なりけりとこそ覚え侍りしか》
 800年も昔から地震は恐かった。科学が進んでも地震の恐ろしさは増えこそすれ減ずることはない。
 寺田寅彦の言葉だ。
《文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す。》
 ワルシャワは言う。
《文庫本を買い進めば進むほど天井まで積まれた本による災害がその激烈の度を増す。》
 そろそろ本棚を買いたさなければ、ホントにヤバイ。