帝国の時代 その1

 手元に1冊の地図帳がある。昭和9年に出版された『新選詳図 帝国之部』(帝国書院)の復刻版だ。当時の中学生を対象とした教材で、眺めているととても愉しい。
 まず日本が広い。北はカムチャッカ半島のロパトカ岬を臨む占守(シュムシュ)島から南は赤道直下ニューギニアの手前の海まで日本領なのである。北緯50度から赤道、東経120度から175度辺りまで、面積にして25百万平方kmという広大な地域が日本だった。
 当時は朝鮮半島どころか、その北に広がる大曠野(満州)も日本の版図と言っていい。赤い夕日に照らされた荒涼とした北の大地、爆走する超特急「あじあ」号を想像してごらんなさいよ。「よっしゃぁ俺も大陸へ渡って一旗揚げてやるぞ!」という気持ちになりまっせ。
 別にワシャはかつての時代を賛美しようと言うのではない。ただ70年前にそういった時代があったという事実を押さえておきたいだけである。

 あの時代、野望をもつ日本人の心根には広大な大陸や海洋に雄飛しようというロマンが存在した。その一点をとってもうらやましい時代だったと思う。
 もちろん現実は甘いものではない。昭和11年の歌「あゝわが戦友」や「守備兵ぶし」の歌詞には「満目百里 雪白く 広袤山河 風あれて」、「雪が降る降る 積もりもせずに 耳もちぎれる満州吹雪」とある。北辺の王道楽土はけっしてのどかな楽園ではなく、厳しい気候にさらされ匪賊の襲撃にあい、常に危険と隣り合わせの日常であったろう。
 それでもさ、国に気概のある時代というのは輝いている。少なくとも国民には誇りがあった。三国干渉で遼東半島をロシアに横取りされても、よし、それなら臥薪嘗胆で国力を高めようと国民が一丸となれた時代だった。
現在のように隣国のためにせっせと石油・天然ガス開発をしてやっても、事業が軌道に乗ってくればなんやかやと因縁をつけられて権益を根こそぎ横取りされたり、ならず者に家族をさらわれ、その上、短刀を突き付けられて恐喝までされても何もできない、何も言えない、そんな国柄でどうしますか。
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