岩佐又兵衛という人物をご存知だろうか。そんなこと突然言われても困りますよね。歌舞伎をご覧になる方なら「傾城反魂香」の浮世又平のモデルとなった人物と言えばわかっていただけるだろうが。ますますわかりませんよね。
詳細は人名事典にでも当たっていただくことにして、簡単に説明すれば江戸初期に活躍した絵師である。父親は摂津の大名荒木村重で、織田信長に叛旗を翻し、一族郎党ことごとく処刑されたなかで、唯一、幼い又兵衛だけが生き延びた。その後、本願寺、織田信雄などに寄宿し絵に開眼してゆく。
その又兵衛が絵巻の名作を数多く残している。その中に「浄瑠璃物語絵巻」という作品がMOA美術館にあるんですな。これが実に名品だ。ワシャはたまたまその図録を持っているのだが、第4巻の「浄瑠璃姫と枕問答をする牛若丸」の絵は、まさに豪華絢爛、華麗奔放、荘厳美麗な絵巻物なのであ〜る。
絵は、浄瑠璃姫の贅をつくした一間どころ(プライベートルーム)に牛若丸がしのんできたところを描いている。色とりどりの几帳に隠れて褥の上で恥らう浄瑠璃姫(これが石原さとみ似の美人なんですな)に、にやけた表情(本当にスケベったらしい目つきなんですぞ)で言いよっている牛若丸という図なんですね。牛若丸のスケベは置いておいても、それにしても美しい絵である。このきらびやかな契りがやがて悲恋につながっていくのだった。嗚呼、浄瑠璃姫の運命や如何に。
それにしても選りに選ってこんな派手派手しい金殿玉楼で契らなくっても、と思うのはワシャだけであろうか。
なんで突然こんな話を始めたかと言うと、昨日、ひょんなことから愛知県岡崎市に出かけたのである。最近、頻発しているホームレス襲撃事件を解決しに行ったのではない。あんなものはどっちみち脳タリンの「ギダンボーガキ」の仕業に決まっている。はけ口を弱者に求めざるを得ないということは、そのガキがすでに落ち零れているということに他ならず、いずれ半世紀も経てば因果は巡る糸車で、そいつらがまだバカガキに負いこみをかけられることになるだろう。
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