生者へ

 憂鬱の原因の一つはは1冊の本だった。先週、偶然手に入れた丸山健二著『生者へ』(新潮社)である。丸山健二昭和18年生まれの芥川賞作家で、文壇というサロンを毛嫌いし一線を画しながら、長野県安曇野から魂の叫びともいうべき作品を発表し続けている。

『生者へ』から、いくつか丸山発言を引きたい。
《私は祭りの類が嫌いだった。その程度の変化と刺激に酔い痴れて興奮し、人生を謳歌できるおとなを見かけるたびに失望感が深まってゆくのだった。》
 文学青年だった父に対しては辛辣だった。
《こんなに沢山本を読んでもこの程度の男にしかなれないのか。身の程知らずの夢をいつまでも追いかけているとしまいにはどうなってしまうのかという、そんな簡単なことさえも自分の女房に理解させることができないのか。》
他律的で、事大主義に毒された、あんな惨めったらしい人生だけは歩みたくないという意識が早くから芽生えたのは、ひとえにそうした両親のおかげであったろう。》
 生半可な会社勤めについても厳しい。
《最初のボーナスをもらったとき、ささやかな額ではあったが、どうして多くの先輩たちが羊のようにおとなしくそんな生活に耐えているのかわかった。わかったような気がした。一年に二度これをもらえるからなんとか我慢していられるに違いないと思った。会社務めにつくづく嫌気がさした頃に出るボーナスのカンフル注射にも似た効力は大したものだった。勤め人たちを生かさず殺さずの微妙な状態に保つボーナスにつられてずるずると会社に居ついてしまう危険性をひしひしと感じた。それは私の思い描くところの真の生者の道に著しく反する道であった。》
《一番我慢ならなかったのは、職場の人間関係だった。人間が好きだからこそ耐えられなかった。家庭的と言えば家庭的、日本的と言えば日本的なのだが、公私の区別がない、上辺だけでありながら妙にべたべたした付き合いにはうんざりさせられた。》
《課長が最初にしてくれたアドバイスはこうだった。「会社というところは仕事よりも人間関係のほうが数倍も大切なんだからね」》
 200ページに及ぶ全編、丸山健二北アルプス槍ヶ岳のように切り立った孤高な生き様に衝撃を受けつづけた。そしてその衝撃のあまり憂鬱になった。