葵上(あおいのうえ)

 先週末は、田辺聖子の『新源氏物語』(新潮文庫)を読んでいた。そのココロは、NHKの朝ドラで田辺聖子さんの半生を描いた「芋たこなんきん」が始まった記念、ということもある。もう一つの理由として、昨日、愛知県西尾市で「薪能」があったのだが、その曲目が「葵上」だったので、その前後の状況をもう一度おさらいしておきたかったということもあった。
 
 薪能西尾城址北側の市民体育館駐車場に仮設された能舞台で行なわれた。
舞台の左右には篝が置かれ、その炎に照らし出される西尾城の大手門や天守は幻想的でしたぞ。
 この日は強い西風が吹いていた。建物の狭間の駐車場なので、その風が巻いて容赦なく揚幕や陣幕を翻弄している。
 夕暮れ空の千切れ雲が、飛ぶように東に去っていく。その空の下を鳥が数羽、風に逆らって舞台の上空に浮いていた。鳥の腹の白が篝に照らし出されて、きれいなんですな。観客の多くが舞台ではなく、上空の鳥を眺めておりました。

 さて、地上では人間が立錐の余地もないほどに混雑していた。西尾の人は能好きな人が多いのね。ワシャは日暮れ直前の開演間近に会場入りしたものだから、席は中正面の一番後ろの席しか空いてなかった。能楽鑑賞では最低の席だ。
 やがて日没を迎え、仕舞、狂言と進むに連れて、強い西風のために温度がどんどん下がっていく。寒いのなんのって、ワシャはジャケットを着こんでいたからよかったものの、隣のおばさんは半袖でっせ。靴を入れるビニール袋を腕に巻いて寒さを凌いでいたけれど、そんなもので追いつかなかったらしく、結局、能が始まる前にいなくなってしまった。その他にも会場をあとにするお客が続出し、お蔭でワシャは正面のいい席にありつけたのじゃった。
 風の音に遮られて、役者の声が聞き取りにくかったのと、強風のために、葵上の象徴として置かれる二つ折りにした小袖がないのが寂しかった。小袖を置かない断わりはあったが、やはりこの能で重要な役割をもっている小袖である。例えば、重石を置くとか、飛ばない工夫をして演じることも出来たのではないか。
 それでも嫉妬に狂い般若に変じた六条の御息所の後妻(うわなり)打ちは、見ものでしたぞ。「源氏物語」自体は平安中期に書かれている。ざっと千年前の悲恋物語だ。能の「葵上」ですら600年も前のことである。その時代の人々と感動を共有できるなんて素晴らしいことじゃないですか。