つま恋

 昨日、静岡県掛川市つま恋でコンサートがあった。「吉田拓郎かぐや姫Concert inつま恋」、31年前に開催された伝説の野外コンサートの再現だった。3万5000人が詰め掛けたつま恋多目的広場には、懐かしいメロディが響いたことだろう。

 喜多條忠『この街で君と出会い』(立風書房)という本が手元にあった。フォーク通の方なら、「喜多條」という名字に思い当たるのではないか。「神田川」「赤ちょうちん」「妹」などのかぐや姫の名曲を生み出した作詞家である。懐かしくなって十何年ぶりにページを繰ってみた。その中で「マキシーのために」という曲にまつわるエッセイがよかった。

 概要はこうだ。
 かぐや姫のナンバー「マキシーのために」の「マキシー」というのは実在した女性のことである。喜多條さんの早大時代の知人で、全共闘の闘士だった。喜多條さんのことを「お前」と呼び、バリケードの中で煙草をスパスパ吹かしているような男勝りな娘だった。その「マキシー」との微妙な関係が小さなエピソードで綴られて、最後は「結核に罹って、それでも仲間と寿司を食べに行って、その帰り道に一人になって道玄坂の坂道に差しかかったところで、崩れるように倒れてそれっきりだった」そうだ。歌詞の中の《渋谷まで一人で歩いていってネオンの坂道で倒れたって〜♪》というのはこの思い出がベースになっている。

 喜多條さんは昭和22年生まれだ。昭和21年の吉田拓郎、昭和24年の南こうせつとは同世代の人で、いわゆるベビーブーマーなのである。彼らはザ・ビートルズをライブで楽しめた世代であり、学生紛争もその真っ只中に身を置いていた。その中から生まれてきたフォークソングのブームも彼らのものだった。

 その世代がつま恋に再び集結したのである。還暦直前世代のパワーたるやすさまじいものがあったに違いない。
(丁度その世代から10年後の昭和30年代前半(人口ピラミッドの底)世代は、いつも前の集団に美味しいところを食われてしまって、いつも残り物を食っていたというような記憶しかないですぞ。)