国柄か人柄か

 何という貧しい人々か。
 劇団四季の韓国進出に「韓国ミュージカル協会」が猛反発しているという。反対声明、反対運動、関連のロッテ商品の不買運動、挙句の果ては劇団四季公演に携わる俳優、スタッフは協会の全公演から排除するんだそうだ。
 その理由は、「劇団四季が韓国ミュージカルよりも30%もチケットを安くして、韓国ミュージカル市場の独占を狙っている」からなんですと。やれやれ。
 ここまで嫉みが激しいと、怒りというよりも哀れになってくる。そんな不買運動をしている暇があったら、自分たちの演技のクオリティを高めるためにもっと練習をしなさいよ。強敵が現われるとそれを追い越すという発想ではなくて、引きずり降ろすという思想だから、いつまでたっても一流になれない。
 このニュースを聴いて、司馬遼太郎のこんなエピソードを思い出した。あれは『街道をゆく 韓のくに紀行』だったと思う。
 司馬さんが取材で韓国慶州の仏国寺を訪問した時のこと、境内のあちこちで30人くらいの団体が輪になって踊っているのに出くわした。同行した写真家は好意的な老婆たちに誘われて輪の中に入って一緒に踊った。写真家は感銘を受けたに違いない。やがて輪から離れると老婆たちを被写体にして写真を撮り始めた。
 その行為に対して一群の指導者らしき人物が食ってかかった。
「なぜ写真をとるのかっ、また日本で悪宣伝をするつもりか」と眼球まで赤く充血させて男は怒ったそうだ。
 写真家は怒られたので写真を撮るのを止めたのだが、男は、その後も思い出したように踊りの輪から抜け出て、日本人である写真家を排除するために五度にわたって罵声を浴びせ続けた。朝鮮文化を愛することでは人語に落ちない司馬さんもこの執拗な罵倒には辟易としたことがその筆致から読み取れる。
《三十五、六の黒いセビロ姿の、工業高校出といった感じの紳士で、しかもその紳士が井上君をつかまえて烈しく罵っているのである。》
《怒れるツングース、という言葉がそっくりあてはまるような血相を、その紳士は呈してくれていたのである。》
 司馬さんがこの紀行を書いてからすでに35年の歳月が流れている。にも関らず、韓のくにの対応はさしたる進歩をしていない。これも儒教の国のなせる業であろうか。