菜の花忌に(2006)その1

【和田宏『司馬遼太郎という人』文春新書】
「柿の木といったふうな実のなる木が一本もありませんね」
と訊くと、
「庭というものはそういうものらしいよ」
と応えたのを思い出す。花を愛でる木もないのではないか。タンポポが好きで。自分で庭に植えたことがあると書いていた。菜の花も好きである。春の黄色い花が好きなのである。ただ群生していないそれらの花は、侘しいばかりであろう。
この寂しげな雑木群で目を休めながら、孤軍で奮闘していたのかと思うと、胸に迫るものがある。多くの人がこの人のものの見方を頼りにしたのだ。「司馬さんなら、これをどう見るだろう」と当てにしたの。心強い存在であった。司馬さんはときにこの圧力で背骨がたわむ思いをしたことであろう。
宮城谷昌光『ありがとう司馬遼太郎』プレジデント臨時増刊号】
 また、『孟嘗君』についても、名古屋での司馬先生は、「宮城谷さんはえらいよ、孟嘗君のような三流の人物を、あのように書くのは―――」と褒めてくださった。
杉本秀太郎『司馬遼を「作り直す」試み』読売新聞】
 じつは司馬遼太郎も忙しすぎた人のうちではなかったか。忙中閑をえたひととき、われとわが目の良さ、確かさに、この人はわれ知らず陶酔していることがある。(中略)私には明鏡のくもりを思わせる。別の言い方をすれば、才はじけたこの人の、いかにも賢い言表がつらなっている『この国のかたち』に、司馬遼太郎の文業が行き着き、ここで行きどまりになっているのが、私には痛ましく思えて仕方がない。
(このおっさんの文章を写していて、とにかく打ちづらかった。和田さんや宮城谷さんの文章は書きやすく漢字変換もスムーズにできるのだが、司馬遼太郎をけなしているから不愉快だったのかもしれないが、「言表」なんて変換できなかったですぞ)
(「菜の花忌に(2006)その2」に続く)