やっぱり夜は東郷町

 東郷町での仕事を終えて仕事の仲間5人で「一杯やりましょうか」ということになった。東郷町のKさんのご案内で「旬魚旬菜 中の濱」で飲むことになった。アンコウのキモ、わかさぎの天麩羅、揚げだし豆腐などをいただく。あ、そうそう「柳ノ舞の煮付け」が美味しゅうございました。北海道産の顔の恐い白身魚は身がプリプリで歯ざわりがいい。甘味のある煮汁にからめて食すとおつなんですな、これが。
 お蔭でついついお酒が進んでしまいました。
 それにしても東郷町とワシャ(私)の故郷の西三河とのアクセスは悪い。もともと国が尾張三河で違っていたからなんだろうか、とにかく一旦JRで名古屋駅まで出て、地下鉄鶴舞線赤池まで行く。移動距離50キロ、時間にして2時間、なかなか遠いでしょ。でもね、愛知郡と我が碧海は隣接していることを発見しました。なんと東郷町役場から刈谷市境までわずか3キロなんですよ。ワシャの生活圏である知立市街までだってたった9キロしかない。東郷町は近かった。
 さてその東郷町、手元にある平凡社の「愛知県の地名」にはこうある。
明治22年、諸輪・和合の両村が合併して諸和村と称したが、同39年、さらに春木・諸和の両村が合併して東郷村(尾張東端の郷の意)と改め、昭和45年、町制が布かれて現町名となった。》
 ふ〜ん、東の郷というところからつけられたんだ。でも、日露戦争直後の明治39年に名前を決めているよね。とすると、この時の行政関係者の脳裏に「国難を救った日本連合艦隊司令長官の東郷元帥」のイメージがあった可能性はかなり高い。「東の郷」という限定的な由来より、「日本海の荒波をゆく連合艦隊の東郷」「バルチック艦隊との大海戦の最中、艦橋を微動だにしなかった東郷」の方が地名の風景としては大きいように思える。推測の域を出ないけれども、当時の行政関係者は「軍神東郷平八郎」にあやかりたいと考えた。しかし相手は切手にまでなっている国民的英雄だ。さすがに名前をいただくのは恐れ多いこととはばかったに違いない。そこで慎み深い春木・諸和の村民は「尾張の国の東にある郷」だから「東郷」であると、別の理由を考えたのではなかろうか。
と、隣郡の碧海人は勝手な想像をするのであった。

 ありゃま、また赤川次郎さんの話を書きそびれてしまったのだ。