宰相論

 かつて「カミソリ」と言われた後藤田正晴が宰相になる前の竹下登、安部晋太郎、宮沢喜一を評してこう言っていた。
「話を聞いていて、高い見識を人に感じさせるというところが足りない。『政策』に実感が湧いてこない」
 竹下が田中角栄の「日本列島改造論」という日本を土建国家に突き落とした愚策を焼きなおしただけの「日本列島ふるさと論」を、宮沢は池田勇人の「所得倍増論」をまるっきりコピーして「資産倍増論」を掲げた。ヨーダ宮沢よ、血迷ったか、資産を倍増するって国土は限られているんだよ、どうやって固定資産、金融資産を現在の倍にするのよ、それに資産のない国民だっているんですぜ、土地を確保するために、また満州あたりに攻めてゆくつもりだったんでしょうか。安部さんの「創造的外交」ってのは抽象的でよくわからない。まぁ総理にならなくてよかった。
 この「安竹宮」の次が橋本龍太郎小渕恵三森喜朗と続くわけだが、この陣容はこりゃぁ日本が二流国になるべく仕組まれた罠としか言いようがない。どの人物を採ってもせいぜい地方都市の市会議員程度の器なのである。官僚制民主主義が腐り果てるとこんな町内会長みたいなのしか首相になれないということか。事実、中曽根以後の首相の入れ替えは目まぐるしく、田舎の町内会長より頻繁に交代している。
 名宰相の高梁是清のような人物は出てこないのだろうか。
 そうそう国会議事堂の見学に行くと、参観みやげに歴代首相の座右の銘が書かれた湯のみが売っている。面白そうなので森喜朗の「春風接人」湯呑でも買おうかと思うけれども、バカが感染りそうなので止めておこう。
 近年はむしろ首相にならない人に人物がいる。例えば冒頭の後藤田正晴しかり伊東正義しかり、古いところでは三木武吉三木武夫じゃないですよ)、鳩山一郎の軍師で徹底した頑固者、国民にはやさしいがバカな政治家には厳しかった。本物の政治家といっていい。この三木武吉に止めを刺されたのが、外相麻生太郎のおじいちゃんの造った吉田政権であるということは有名な話ですぞ。
 本当の政治家はどこにいるのか、白昼、ランプをかざして永田町を探さねばなるまい。少なくとも官僚にふぐりを握られ、総踊をおどらされているようではどうしようもないやね。
 三木武吉ならこう言うだろう。
「馬鹿者!自らが律せずして国民にその負担を強いるとは政治家の風上にも置けぬ奴、そんな奴は豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」