酒や酒 避けて通れぬ 祝い酒

 いやー、夕べは飲みすぎてしまった。まだむかむかする。酒のない国に行きたい二日酔〜い、ときたもんだ、うぃ〜ぷっ
 夕べは料亭で飲んでいたがついつい過ごしてしまって、そこからどうやって家までたどりついたのか覚えていない。途中でどこかに立ち寄ったような気もするのだが・・・だめだ、記憶がすっ飛んでいる。あまりいい酒の飲み方とはいえない(反省)。
 酒癖に「からみ酒」というものがある。飲んでいるうちに他人にからみだすという傍迷惑な飲みかただ。地元にこの典型のような人物があり、飲んでないときはそれなりに紳士なのだが、飲み始めるとがらっと人が変わる。周囲の人もそのあたりを心得ていて、町内でバス旅行にいったときなどは、とにかく早めに飲ませて酔いつぶしてしまうそうである。後の世話は大変だがそのほうが楽しい旅行になるのだという。こんな扱いを受けるようになったらおしまいだ。「他山の石、以って玉を攻むべし」としよう。
 さて、幕末にこれまた酒癖の悪い人物がいた。その名を芹沢鴨という。言わずと知れた新撰組初代局長である。水戸脱藩浪士、巨躯で力は数人力であったという。鴨、常に酒気を帯び、機嫌を損ねると乱暴狼藉をした。酒乱といっていい。結局、その粗暴な性格と酒癖が禍し、近藤勇一派に暗殺されることとなる。酒で身を滅ぼす典型のような男だった。
 その新撰組が結成されたのが、文久3年(1863)の3月13日のことだった。新暦でいえば4月30日にあたり春のたけなわであった。この日、山南敬助の筆による「新撰組宿」の大札が壬生郷八木源之丞の門前に掲げられた。この後、新撰組は京洛の治安警察としての機能を司り、尊皇攘夷倒幕派の弾圧に活躍することになる。
 ううむ、昼になってしまった。頭の痛いのも薄れてきた。窓の外には雪もちらほらと舞っている。休みのことだし、雪見酒としゃれこみますか。←(怒!おまえは芹沢鴨か)