お伊勢まいり その1

 昨日、伊勢神宮へいってきた。理由は「伊勢うどんを食べたい」という単純なもので、伊勢湾岸、東名阪、伊勢自動車道を走って、2時間で神宮会館の駐車場に到着した。午前11時を少し回っていた。
 天候は小雨、傘をさしておかげ横丁を遊歩、目的の「伊勢うどん」は後回しにして、とにかく参拝をすべく内宮へ向かった。
 宇治橋前に着く頃には、雨は上がっていた。小雨あがりのためか五十鈴川対岸の島路山が靄につつまれている。「森厳」である。大鳥居をくぐって宇治橋を渡る。ざりが敷き詰められたそこは「神域」である。手水舎で手口を濯ぎ身を引き締め、優に数百年は超えるであろう樹木に囲まれた参道をゆけば、この国がやはり「神の国」であったことを再認識する。伊勢神宮だけで125社の神々がおわし、そこここの大樹や巌に祖霊が宿っているのである。バカな首相が腹に一物も二物ももって「神の国」などと発言するから物議をかもすのだが、伊勢にくればそんな世俗のバカは超越して神々にあうことが可能だ。
 天照大神の御正宮の前に立つ。古代そのままの神殿は厳かに静謐に佇んでいる。「パンパン」と大きな拍手が響く。初老の男性が参拝している。私は気恥ずかしいので「ペチペチ」と小さく拍手を打った。男性は背中が平になるほど深々と一拝すると顔をあげて神殿をじっと見つめている。彼の人、今、まさに神と対峙しているのだと思った。私を含め未熟な日本人は、そのおじさんを尻目にそそくさと階段を降りていったのであった。
 帰路、神楽殿にさしかかって、ふと左手に目をやると木橋が掛かっているのが見えた。その橋に日が差しており、そのためか木橋から湯気が上がっている。まるで雲の橋のような不思議な光景だった。吸い寄せられるように橋に向かう。風日祈宮(かざひのみのみや)橋である。これをわたると五穀豊穣の神を祭る風日祈宮があるのだ。ここは静かだった。本ルートから外れているために通る人も少なく、ようように静寂な神域を体感できた。しばし宮の前に佇んでいると、背後に気配がする。振り返れば彼のおじさんで、静謐を楽しんでいて追いつかれてしまったようだ。軽く会釈をして場所を譲り帰路につく。橋にさしかかった頃である。静寂に拍手が二度響き渡った。鳥が驚いたか羽音を立てて高く飛び去っていった。
(「お伊勢まいり その2」に続く)