聴見風、就是雨(風を聴けば、雨だとする)

 やはり出た。朝日新聞「声」欄に、選挙投票所の職員の人数が多すぎるというものである。投稿者は不況の製造業を引き合いにだして、「町工場では2工程、3工程の掛け持ちは当たり前だ」と声高に叫んでいる。
 見方が甘い。町工場で3工程を掛け持ちにしている人がミスをしたとしよう。多分、その従業員は社長にしかられるだろう。それで終わりである。選挙事務で交付係が選挙区と比例区の交付ミスをしたとしよう。まず投票する人間に叱られ、管理者に叱られ、あるいは投票者の背後にいる政党や宗教団体から抗議を受け、その上、新聞沙汰になるのである。これだけのストレスに曝されるので、手厚い対応にせざるをえない。小さなミスを許せる態勢かどうかが問題なのだ。「選挙事務従事者の人数を減らせ」という前に、この旧態とした選挙制度そのものに声を挙げたほうがいい。電子投票にすれば投票所で投票用紙の交付係はいらなくなるし、開票事務の従事者が不要になる。木を見てばかりではなく森を見ないとね。
 7月4日の記事で「期日前投票で用紙交付ミス 島根、1票無効に」という記事が社会面にでかでかと載っている。ミスがあった投票所では用紙の交付係に1人しか配置していなかったからである。
 7月13日の中日新聞には、豊田市の開票の遅れを大きく扱っている。その中で「それでも前回よりは順調だった。(中略)時間が早まった理由について市選管では職員の増をあげている」という。
 人を増やせば、事務は正確で早く処理ができるが、当然のことながら人件費はその分だけ増える。こんな当たり前のことを置き去りにして、ただ単に目先の事象(たまたま自分が投票所にいったときに投票者が少なく暇そうに見えたこと)だけをとらえて投書などするなよ。