暴力と安全と

 なんの力もない非力な小市民としては、安全を確保するために少々の不便さは甘んじてもいいと考えてしまうが、どうだろうか。
 車泥棒ももうこっそり盗むなんていう時代ではない。盗難防止装置をいくらつけたところで、持ち主をおびき出してそれを襲って鍵を奪い目的を果たすというのだから防犯も糞もあったものじゃない。
 また宅配便を装った強盗も増えている。主婦が一人でいるところを狙って「宅配便で〜す」とドアを開けさせて、強盗するというものである。昨日あった宅配便強盗は外国人だった。
 人のいないのを見計らってこっそりと鍵を開け侵入するというような悠長な犯罪ではなくなっている。脅し、暴行し、殺してでも鍵を手に入れ、あるいは暗証番号を知り金品を奪うという鬼畜のような手口に変貌しつつある。これじゃぁ小市民はひとたまりもない。
 昨日の朝日新聞生活欄に「町内会は無駄が多い」という投書が載っている。都会から田舎の一戸建てに引っ越した28歳の会社員は「回覧版が何度も何度も回ってくる。夫の体調を崩したことを根掘り葉掘りたずねてくる。なんでそんなプライバシーまで知らせなければいけないんだ」だからうざったいという。バカな女だ。回覧版が何度も何度も家に届くということは、回覧版が一人で歩いてくるんじゃないんだよ。近所の誰かが運んでくるんだ。その都度、彼女の家に異常がないことを確認してくれるわけだ。誰がただで町内を見まわって安全な地域を確保していると思っているのか。防犯で(もちろん防災でも)もっとも有効な力を発揮するのは、コミュニティなのである。例えばこの若い会社員の地域が大地震に見舞われたとしよう。この人の住む一戸建てが潰れてしまって夫と妻の消息がわからないとなれば、周辺の住民は必死で瓦礫を取り除き救出作業をする。近所付き合いが悪くてもである。瓦礫の中に埋もれているかと思いきや、温泉に行って無事だったとしても、この女、必死に救出作業する近所の人たちに「かってに人の家をほじらないでよ」とか言うんだろうね。
 コミュニティ付き合いは多少の制約と不便を伴うが、見ず知らずの外国人に強姦されるより、隣のおじさんに夫の病気のことを話すほうがいいでしょう。
 もっと踏みこめば、犯罪者がのさばっているより公権力がいばっているほうが数段増しである。「水と安全はタダだ」と言いきるためなら、多少の制約はやむを得ないと思っている。
 アラブの格言に「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」というものがある。そろそろ無差別な犯罪に対しての抑止力を真剣に考えたほうがいい。